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火事になってしまい、すべてを失ってしまい、約2ヶ月間毎日毎日、ある田舎のアパートの2階で、窓から自然の風景を放心状態で眺め続けていました。完全な思考停止状態です。私が『堕ちた』とき、周りの人たちは全員、ほとんど誰もが、私のもとを去っていきました。為になりますね。その当時、自分は友達だと思っている人たちは誰一人、一切会うこともなんの連絡もありませんでした。本当に貴重な得難い経験をしました。 私はその後、東京の下町で朝3時半から夜9時頃まで、無我夢中で約3年働き続けました。寝る時間を惜しんで美術の勉強も続けました。人生の肥やしというかあの貴重な経験と教訓はいわば、私の心の貯金みたいなものです。大抵の人は、私と話していると、私が何不自由なく暮らしてきた人に思われ、「苦労が顔に出ていない」とよく言われます(人を表面的に見て人物評価をしたりするのは、片手落ちだと思うのですけど)。私は大した人間じゃないですけど、ちょっとだけ辛い経験をしたことがあるので、人の痛みは体感レベルでわかります。正直・親切をモットーにこれからも自分の人生をとぼとぼ前を向いて歩いていくだけですね。『すべてを喪失した経験のある人は、恐れるものがなにもない』と思います。ときどき知人が「あなたは不死鳥(フェニックス)だよ」と真顔で語ってくれます。「そうかも(笑)」 『心』を汚して、命を粗末にして人生を楽しまず、貴重なかけがいのない時間を無為に過ごすことほど、淋しいことはないですね。私は、生かされて生きています。目標を持ち、夢を忘れず、前向きに努力すれば、人生は必ず『幸せの道』が目の前に開けてくると、自らの20代後半の経験を通じて確信しています。人生は『光』です。
人生で、酷い目にあったことがあります。20代後半の頃です。自分の不注意で借りていた建物が燃えてしまい、あと数分で死ぬ目に遭い、その上、火事になってしまった建物の被害弁済で散々な目に遭ったことです。 いまでは、あの辛い出来事もいい経験というか体験をしたなと思っています。髪の毛は燃える、衣類も燃えて、消防士から「あと数分で死んでいたよ」と言われたことをいまでも鮮明に覚えています。死の淵というか死線を彷徨った、つまり、臨死体験をしたんですね。ビロード色のカーテンが目の前に見えて「とうちゃん!」と叫びました。意識は朦朧としていたのですが、無我夢中で2階の階段を駆け下り、雪の降る中119番をして間一髪、生き延びることができた私です。
一度死んだも同然の身の上ですので、よくお坊さんが「生かされている命」と言われるのですが、私は実体験レベルで理解できますね。文字通り、命拾いを経験したので、失うものは何もないのです。 つづく