« 2011年2 月 | メイン | 2011年4 月 »
他人の思惑を考慮することは結果的に徒労だということになる。もちろん、他人の思惑を考慮した上での自分の考えや態度も無意味に帰する。
数字と時間を組み合わせて、比率が正しく合っていればよしとするのは、機械に通じるが、現実の日々を生きている人間に適した考えではない。
疑問に思うことを素直に尋ねられたら、何一つ隠すことなく答える。このことによって、相手も自分も問題の輪郭がはっきりと分かり、疑心暗鬼が消え、無駄に苦しむことなく解決への道を見つけることができる。
なぜ、どうして、と問うこと。
自分は、今現在の目の前の物ごとしか見てはいないということを忘れてはいけない。
その場での損得計算をするから何が正しいか分からなくなる。人間として何が喜ばしいかを基準にすれば、決断は正しいものになる。もちろん、自分にとって何が喜ばしいかを基準にするのではなく、多くの人々にとって何が喜ばしいかを判断の基準にするべきである。
考えるためには頭を働かさなければならないが、身体がある程度動き、知覚が刺激を受けていなければ、頭も動かない。
考えるときには感情と好き嫌いを自分から離しておかなければならない。
自分の考えを厳しく批判してみるべきである。決して避難するのではなくて批判するのである。
言葉を正確に理解しなければ、相手の意向や立場を理解することはできない。言葉こそが各人の個体差を超えた共通の道具である。言葉は力です。
言葉を正しく知ることによって世界をきちんと理解することができる。
人間は言葉を使ったときにだけちゃんと考えることができる。