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常に、商売っていうのは、突拍子もないものを考えるより、みんなが知ってるものを組み合わせたほうが成功しやすいんだよ。みんなが知ってるもの、人気のあるものを、じぃーっと見て、そこに一個だけ、チョロッと加えるだけで爆発的に売れるんだよ。【斎藤一人】
人には誰でも、絶対に、弱いところと強いところがある。ところが、人の欠点を責めはじめると、自分の弱いところを隠そうとする。自分が人の弱点を責める性格だから、「自分も誰かに責められるんじゃないか」と心配になるんです。相手の欠点を責めなければいい。【斎藤一人】
社会的貢献とは幸せそうに笑顔で人に接すること。社会的貢献とは笑顔と愛ある言葉。【斎藤一人】
働くっていうのは、「はたがらくする」、ということ。私たちは働かなきゃいけない。そうすると、はたが楽になる。人から喜ばれる存在になる。人から喜ばれれば、人間というのは幸せになる。仕事がおもしろくないというのは、その場で喜ばれてない。喜ばれるほど、働いてみたらいい。【斎藤一人】
怒りや憎しみは外側を否定することです。後悔とか罪悪感は自分を否定していることです。
スカポンチンな外界の物差しで自分を否定するのが劣等感。相手を否定するのが優越感。
自分を傷つければ相手も傷つく。人を傷つければ自分が傷つく。自分の内側と外側はつながっていて、それは別のことだと思っていたけど実はまったく同じものだった。心の中の出来事が外に映し出されるだけだった。
資源が回収できるなら単に捨てるときに500円なら、それから資源回収によって得られる利益200円を引いて、300円になるはずだからです。今、3000円は6000円になって業者の懐に入っています(半分は5000円で輸出され、業者は日本人から3000円、外国人から5000円を取っている)。
散々考えた程度のことで、実力がついてくるモンじゃないの。挑戦して実行して、実力がついてくる。やっと一歩踏み出した、それはスゴイことなんだよ。だけど、その場で座り込んじゃいけない。「ツイてる、ツイてる」っていいながら、先に行くんだよ。次、次、次、って歩いて行くんだよ。【斎藤一人】
人生何でも、微差の積み重ねです。その微差一個でグン、微差一個でグンって、あがるのです。ここが、おもしろいところで、やり得なんです。普通の人は、うんと努力して、ごほうびはちょっとです。だけど、本物は違います。本物は、微差の努力で、大差もらえるんです。【斎藤一人】
人に喜ばれる仕事を楽しみながらやる。【斎藤一人】
相談したり、聞いてる間があったらとっととやることが先決。やってたらうまくなるの。いい知恵をだそうとするからだめなの。ろくでもない知恵でも出して行動してみる。【斎藤一人】
「捨てるのに500円、リサイクルで3000円」ということと、「リサイクルすると資源が回収できる」ということとが完全に矛盾している
「ものに愛着を感じる生活」
一、 持っているものの数がもともと少ないこと
二、 長く使えること
三、 手をやかせること
四、 故障しても悪戦苦闘すれば自分で修理できること
五、 磨くと光ること、または磨き甲斐があること
「こころというのは落ち着きのない鳥のようなものであるとわたしたちはわきまえています。物が手に入れば入るほど、わたしたちの心はもっと多くを欲するのです。そして、いくら手に入っても満足することがありません。欲望のおもむくままに身を任せるほど、情欲は抑えが利かなくなります。」
福島原発から出た放射性物質はヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムなどがあり、特に最初の段階では放射性を持つヨウ素が多いのです。それにも関わらず「セシウム」だけで5ミリシーベルトになっています。
魅力はその人の生きざまに宿る。【斎藤一人】
人を動かす力を身につけるにはね、見返りを求めずに喜びの種を蒔(ま)くのが一番いいんだよ。そうしているうちに運が良くなっていくの。これが運が良くなるためのマスターキーなんだよ。【斎藤一人】
避けて通れない嫌なお客は、相手にしないで、それ以外の普通のお客さんに笑顔で接することです。ただし、笑っているだけではダメです。もっと喜ばれるのはどんな笑顔なんだろうと考えてみましょう。【斎藤一人】
なんだって素人とプロとの違いとは執着できるか、執念を燃やせるかなの。どれくらいまで追求して追求できるかなの。【斎藤一人】
これからは、金の有る人ない人の差が明らかになる金の有る人は避難するか、汚染の少ない食物を選べるが
それを出来ない人は汚染でも我慢しなくてはならなくなる。
「原発を認めた大人は責任を取らなくてはならないが 何も知らない子供たちには責任がない」
日本偏向協会=NHKは、震災復興会議でもただ一人正論を述べ続けた達増知事をまったく報道しなかった。震災復旧対応、復興政策立案でも、岩手県は宮城県などよりもはるかに優れた対応を示し続けたと考えられるが、NHKはまったく報道しなかった。