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第二次世界大戦後のアメリカは強大な国になり、その力を背景に豊かな生活を享受しました。その一つとしてアメリカの巨大な車、ラグジャリーな自家用車がその象徴的な存在でした。ところが1960年代になって徐々に日本が作る小さなコンパクトカーが優性になってきたので、フォードもそれに負けじと小型車の分野に参入し、その第1号がピントという車でした。なにしろ、それまで小型車なるものを設計していなかったので、狭いところに部品を詰め込むという経験が無く、後ろのトランクに置いたガソリンタンクの設計が悪く、追突されると火災を起こし、数人が焼け死にました。フォードの社内で緊急会議がもたれ、ピントをリコールして修理するか、このまま放置するかが議論された結果、リコールするとお金がかかり、このまま放置して数10人の死者がでて補償金を払ってもその方が安いということになり、放置することになりました。