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結構笑えた…。
北支最前線の三元守備隊は完全に孤立の状態だった。師団司令部から派遣された新任の参謀関大尉は、三元より約二五粁西の元頭で作戦を指導中、八路の大軍に襲われて行方不明となった。師団長は大尉救出隊の編成を急いだ。その隊長に、特務隊長の白虎が選ばれた。そして白虎が選んだのは、脱走常習犯の林一等兵、食事を盗んだ兵を撲殺した空手三段の三好炊事軍曹、その軍曹を仇と狙って炊事場へ手榴弾を投げこんだ穴山上等兵、忍術研究中の佐々木二等兵の四人だった。救出隊五騎は、関隊が全滅した老頭に行った。そこには敵の密偵隊長の無双が白虎を待ちうけていた。白虎と無双は時々情報を交換してお互に利用しあっていたのである。無双は関大尉が師団長の息子で、百万元の身代金がかかっていることを知り、白虎は関大尉が捕えられて四風の野戦病院に、いることを知った。白虎隊は、八路軍が散在している五十里向うの四風に、ある時は無双隊を名乗り、ある時は敵兵に変装してたどりついた。折しも、四風は陣中結婚式ににぎわっていた。一同はその中にまぎれこんだ。日本機の爆撃があり、三好軍曹は重傷をおった。そのすきに無双は関大尉をうばって逃げたが白虎に追われ、対決の末に射殺された。白虎隊は関大尉をつれて逃げる途中八路軍の追撃をうけどぶ鼠のように逃げた。重傷の三好軍曹は仲間を助けるために敵軍と単身戦って死んだ。一方、日本軍は作戦を変更し三元を撤退することになった。正規軍とみとめられない白虎の手兵は死守部隊として三元に残された。やがて怒濤のようにおしよせて来た八路軍との間に激しい戦闘が始まった。一度捕虜になった身を今さら部隊に戻ることも出来ない関大尉を先頭とする六名はそれを知ると馬をとばして戦闘の中に飛びこんでいった。撤退中の元三元守備隊長正宗中尉も日本軍の非情に腹を立て、軍人廃業を宣言すると六名の後を追った。部隊の指揮を託された大森見習士官は落ち着きはらって部隊を戦闘隊形に直すと、軍の方針もあらばこそ、これもまた三元めがけて攻撃に向うのであった。