川谷尚亭しょうてい(本名・賢三郎)は、明治19年(1886)川北村横山に生まれました。兄は横雲。 安芸第三中学校卒業後、一時川北村役場に勤務。のち上海の東亜同文書院に留学、病を得て帰郷後、川北村小学校で教鞭を執るようになりました。本格的に書道を志したのはこの頃からで、新華会に入り鵞堂がどう流を習い、兄横雲の勧めで近藤雪竹せっちくに師事。1日に5合の墨と水を使う練磨を重ね、次第に頭角を現し、雪竹門下の麒麟児と嘱目されます。
大正5年(1916)、高坂高等女子学校の教諭に。同7年(1918)上京して三菱造船会社に入社。在京中に日下部鳴鶴、丹羽海鶴、比田井ひだい天来てんらいらの薫陶を受けています。のち大阪に移り、大正13年(1924)甲子こうし書道会をおこし雑誌『書之研究』を創刊。以後没するまでの八年間、書の研究と普及に精力的に取り組みます。大正15年、堺に建立の土佐藩烈士碑文を揮毫。昭和2年(1927)名著『楷書階梯』、翌3年には大著『書道史大観』を著し、我が国近代書道の先駆的役割を果たしました。昭和8年(1933)没、享年47歳。浪漫的で律動的、清澄感溢れる格調高いその書風は、現在でも慕う者が多いと言われています。
市内江の川上公園には傑作「瀟灑風流」の書碑が、また高知市の名所桂浜には先生揮毫になる大町桂月碑文が建っています。
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