ボフニチェA-1号機の閉鎖
チェコスロバキア時代の1958年に、天然ウランを燃料とする重水減速ガス冷却炉ボフニチェA-1原子力発電所(HWGCR、電気出力14.4万kW)が着工され、1972年に営業運転を開始した。しかし、1976年と1977年に深刻な事故が発生し、1979年に閉鎖された。
1976年の事故では、燃料交換時に新燃料集合体が炉心から飛び出して原子炉冷却材である炭酸ガスが放出され、酸欠のため2名の作業員が死亡した。また1977年の事故では、作業員がシリカゲルの入った袋を燃料集合体中に放置したことが基で、原子炉冷却材の流路がふさがれ、燃料温度が上昇して燃料溶融事故が起こった。1977年の事故では、10%の燃料が破損し、重水が一次系に流れ込んで汚染を拡大するとともに、蒸気発生器の欠陥から二次系の配管も汚染した。1999年までに使用済燃料集合体がロシアへ輸送され、今後、2015年まで汚染領域の除染作業、冷却塔の解体、放射性廃棄物の処理等が行われ、最終的な解体撤去は2033年に終了する予定である。
チェコスロバキア時代の1958年に、天然ウランを燃料とする重水減速ガス冷却炉ボフニチェA-1原子力発電所(HWGCR、電気出力14.4万kW)が着工され、1972年に営業運転を開始した。しかし、1976年と1977年に深刻な事故が発生し、1979年に閉鎖された。
1976年の事故では、燃料交換時に新燃料集合体が炉心から飛び出して原子炉冷却材である炭酸ガスが放出され、酸欠のため2名の作業員が死亡した。また1977年の事故では、作業員がシリカゲルの入った袋を燃料集合体中に放置したことが基で、原子炉冷却材の流路がふさがれ、燃料温度が上昇して燃料溶融事故が起こった。1977年の事故では、10%の燃料が破損し、重水が一次系に流れ込んで汚染を拡大するとともに、蒸気発生器の欠陥から二次系の配管も汚染した。1999年までに使用済燃料集合体がロシアへ輸送され、今後、2015年まで汚染領域の除染作業、冷却塔の解体、放射性廃棄物の処理等が行われ、最終的な解体撤去は2033年に終了する予定である。
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