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日本国外で保管していたコレクションは散逸を免れたが、1924年に実施された10割関税(関東大震災の復興資金のため、買値の10割の関税、つまり買値と同額の税金がかかった)が障害になり、昭和初期の軍国化の傾向の中で西洋美術のコレクションは軍部に悪印象を与えるのを恐れたこと等もあって、そのまま日本国外に保管されていた。
ロンドンに保管していたコレクション(約300点と推測されている)は1939年に火災で焼失してしまった。パリに保管していたコレクション(428点との説がある)は、ロダン美術館に預けられていたが、第二次世界大戦のドイツの侵攻により、元大日本帝国海軍大尉日置釭三郎によりパリの近郊、アボンダンに疎開していた。ナチスの押収は免れたものの、戦後にフランス政府に押収されてしまった。
1950年から松方コレクションの返還交渉が始まったが、難航していた。1951年のサンフランシスコ講和会議の際に、首相吉田茂がフランスの外務大臣に要求し、返還されることが決まった(平和条約によれば、連合国に管理されている日本の財産はそれぞれの国が没収するが、個人の財産は所有者に返還されるはずであった)。しかし、その後の交渉の中で、コレクション中、重要なゴーギャンやゴッホなどいくつかの作品についてはフランス側が譲らず、結局、絵画196点、素描80点、版画26点、彫刻63点、書籍5点の合計370点の作品が、美術館を建設して展示するという条件付きで返還された(フランス側は「寄贈だ」と主張したため、「寄贈返還」という言葉が使われた)。受入れのための美術館が建てられ、1959年に国立西洋美術館で公開された。
返還交渉にあたった矢代幸雄らは特に『ファンゴッホの寝室』と『アルジェリア風のパリの女たち』を要求したが、前者の返還は認められなかった。
パリのガイドに上記の質問をしたけど知らないとのこと。おめでたいと思う