明治天皇の遙かなる血筋:北も南も明治天皇の親戚、伏見宮の末裔だった!?
みなさん、こんにちは。
いや〜〜、今日偶然実に面白いものを見つけたので、それもメモしておこう。我々「人類粛清」の時代の今、いつ何時災害やら何やらで死んでしまうかもしれないからである、というわけですナ。
(あ)まず、たまたまこれを見つけたのである。
記事の内容はここではどうでもいいのだが、問題はこの「竹田 恒泰(たけだ・つねやす)氏」である。
私は知らなかったので、ちょっと調べると、なんとJOCのあの武田のおっさんの息子だった。
(い)とまあ、ここまではよろしい。よく分かっていることである。そこで、偶然これを見つけたのである。これは実に興味深いものである。
なんと、あの武田さん、つまりJOCの武田さんは旧皇族であり、伏見宮の子孫であったのである。
つまり、この竹田恒徳(たけだ つねよし)氏の息子が、現JOC会長の竹田恒和氏、その孫がこの竹田恒泰氏だったのである。実に驚き桃の木サンショの木。
この系図によれば、明治天皇には娘しかいなくて、そのそれぞれが伏見宮家に嫁いだ。その
と
要するに、正真正銘の明治天皇家の子孫ということである。
まあ、ここまではまだ既知であろう。知っている人は知っていたのだろう。
問題は、その系図の右端である。その最後に「李方子(イ・マサコ)」とあるだろう。これである。私が本当に驚いたのは。
面白いのはここからである。
(う)この「李方子(イ・マサコ)」の父親が
この人が「李」という名前に変わった? どこの「李」さんとご結婚?
と思いきや、それが先日メモしておいた、伊藤博文の真横に立っていた韓国人王子、韓国皇太子の「李垠(り ぎん)」だったのである。
(え)ここから話が急展開する。
まずはこれ。偶然見つけたものである。が、すでにこの話はかなりネット上では知られたことである。
まあ、というわけで、韓国の王子はいまは北朝鮮にいて、その直系の子孫が、金正恩だということである。そして、明治天皇の親戚の伏見宮の子孫だったということである。そして、武田家は李根の李家とは遠縁の仲だった。
だから、朝鮮人とは仲がいいっていうことですナ。
いや〜〜、参った。参った。
あとは、DNA鑑定でこの流れが証明されたら万事休すですナ。もはや韓国の存在意義はない。
消滅。晴れて南北統一ということのようですナ。
これにて一件落着。めでて〜〜ナ。
いや〜〜、今日偶然実に面白いものを見つけたので、それもメモしておこう。我々「人類粛清」の時代の今、いつ何時災害やら何やらで死んでしまうかもしれないからである、というわけですナ。
(あ)まず、たまたまこれを見つけたのである。
日本人はなぜ日本のことを知りたがっているのか
作家・旧皇族の竹田恒泰氏に聞く「日本ブーム」の背景
秋山 知子
敗戦から68年、東日本大震災を経て時ならぬ「日本人による日本ブーム」が起きている。日本人は自分たちの何を知ろうとしているのか。歴史をたどれば見えてくる日本の強みを、旧皇族で作家の竹田恒泰氏に聞いた。
この10月、伊勢神宮で式年遷宮の遷御の儀が執り行われました。今年は、伊勢神宮と出雲大社の遷宮が初めて同じ年に行われたという事情もあったのでしょうが、関心を持つ人が非常に多かったという印象です。前回の式年遷宮は1993年でしたが、これほど話題にならなかった記憶があります。
竹田 恒泰(たけだ・つねやす)氏
1975年生まれ。明治天皇の玄孫に当たる。慶應義塾大学法学研究科講師(憲法学)、作家。2006年、『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で第15回山本七平賞を受賞。著書に『旧皇族が語る天皇の日本史』『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(以上、PHP新書)、『現代語古事記』(学研M文庫)など多数。(写真:都築 雅人)
竹田:ここ数年で、日本人が日本について知りたいという気持ちが高まっているんですね。東日本大震災で意識が変わった面もあるでしょう。昨年は古事記編纂から1300年の節目の年でした。「日本ブーム」が起きていると言っていいでしょう。国内で日本ブームが起きたのは初めてのことなんですよ。
(後略)
記事の内容はここではどうでもいいのだが、問題はこの「竹田 恒泰(たけだ・つねやす)氏」である。
私は知らなかったので、ちょっと調べると、なんとJOCのあの武田のおっさんの息子だった。
「人工降雪機盗難」:武田会長のいう「平昌オリンピック」と全面協力とは、こんなことだったのかいナ?
よくよく見れば、そのご子息はこの人だった。
(い)とまあ、ここまではよろしい。よく分かっていることである。そこで、偶然これを見つけたのである。これは実に興味深いものである。
系図でみる近現代
第25回 “スポーツの宮様”竹田宮家とJOC (04.4.29記)
(前略)
そして、その竹田恒和JOC会長の父の名といえば、竹田恒徳(つねよし)。
「竹田」と漢字で書く「たけだ」・・・、見覚えのある名前。そうです、
昭和22年の皇籍離脱前までは、竹田宮恒徳王と呼ばれたその方。
「流転の王妃・最後の皇弟」で登場してきた竹田宮とは、この方の事であり、
父は、竹田宮家初代の恒久王、母は明治天皇の娘、
妻は、明治の元勲・三條実美の孫娘・光子。
簡単な系図を描くと、
(後略)
なんと、あの武田さん、つまりJOCの武田さんは旧皇族であり、伏見宮の子孫であったのである。
■スポーツの宮様
戦後は、“スポーツの宮様”として、知られ、日本体育協会専務理事、JOC委員長を歴任。
東京及び札幌オリンピックの招致に尽力し、“体育の日”の創設を提案した。
日本にとって、札幌オリンピックでのハイライトは、何と言っても、
70m級ジャンプでの日本勢の金・銀・銅の独占。
表彰式で、笠谷・金野・青地にメダルを渡したのが、竹田恒徳。
(たけだ つねよし)
『私はただただ感激で涙ぐみながら、一人一人の首にメダルを懸けて、
「おめでとう、本当によかったね。」と言って握手した。
そのあと、三本の日の丸が、紺碧の大空にくっきりと揚がった時の感激は、
永久に忘れ得ない思い出である。』
IOC(国際オリンピック委員会)理事も務め、国際スポーツ界で長く活躍、
海外でも“プリンス・タケダ”として有名だった。
平成4年に亡くなるまで、JOCの名誉委員を務めていた。
つまり、この竹田恒徳(たけだ つねよし)氏の息子が、現JOC会長の竹田恒和氏、その孫がこの竹田恒泰氏だったのである。実に驚き桃の木サンショの木。
この系図によれば、明治天皇には娘しかいなくて、そのそれぞれが伏見宮家に嫁いだ。その
伏見宮には男児2人がいて、その二人が
「北白河宮(きたしらかわのみや)能久」
と
「久邇宮(くにのみや)朝彦」に別れた。その北白川宮の方から武田家が誕生したとある。
要するに、正真正銘の明治天皇家の子孫ということである。
まあ、ここまではまだ既知であろう。知っている人は知っていたのだろう。
問題は、その系図の右端である。その最後に「李方子(イ・マサコ)」とあるだろう。これである。私が本当に驚いたのは。
面白いのはここからである。
(う)この「李方子(イ・マサコ)」の父親が
「梨本宮守正」である。つまり、方子さんの旧姓は当然「梨本宮」。つまり、梨本宮方子だったというわけである。
この人が「李」という名前に変わった? どこの「李」さんとご結婚?
と思いきや、それが先日メモしておいた、伊藤博文の真横に立っていた韓国人王子、韓国皇太子の「李垠(り ぎん)」だったのである。
伊藤博文公と韓国王子
日本の皇室の「イスラエル顔」と韓国のウリナラファンタジー:ついに近代まで捏造しだしたの?
(え)ここから話が急展開する。
まずはこれ。偶然見つけたものである。が、すでにこの話はかなりネット上では知られたことである。
金正恩の母は朝鮮王朝の血をひく横田めぐみさんで父は金正日
1392年から1910年までの約520年間27代続いた李氏朝鮮。
その朝鮮王朝最後の李 垠(り ぎん)皇太子に嫁いだのが
元日本の皇族(梨本宮方子女王)である李 方子(り まさこ)皇太子妃です。
李 方子さん→(娘)横田早紀江さん→(娘)横田めぐみさん→(息子)金正恩氏
という噂を見つけました。
横田めぐみさんには朝鮮王朝の血が流れている(日本の皇族の血もですが)。
北朝鮮はその血統が欲しかったからめぐみさんを拉致したのではと考えられます。
(要するに、全部つなげればこういうこと)
まあ、というわけで、韓国の王子はいまは北朝鮮にいて、その直系の子孫が、金正恩だということである。そして、明治天皇の親戚の伏見宮の子孫だったということである。そして、武田家は李根の李家とは遠縁の仲だった。
だから、朝鮮人とは仲がいいっていうことですナ。
いや〜〜、参った。参った。
あとは、DNA鑑定でこの流れが証明されたら万事休すですナ。もはや韓国の存在意義はない。
消滅。晴れて南北統一ということのようですナ。
これにて一件落着。めでて〜〜ナ。
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