隋末唐初の混乱から国土を回復させ、後の唐の土台を築く治世を行ったこと、唐の領土を広げ、北方異民族の脅威を長年に渡って取り除いたこと、兄の李建成に、李世民の存在が皇太子の座を危うくしていること感じて殺害することを進言した魏徴の命を助け、彼を始めとする部下たちの諫言をよく聞き入れたことなどから、中国史上でも有数の名君と称えられる。
能筆家としても知られ、臣下にも初唐の楷書を完成させた書の大家を登用するなど書に対する関心が強かった。また書聖と謳われる王羲之の真筆に対して異常なまでの執心ぶりを見せていたことも有名である。王羲之の子孫にあたる智永という僧が持っていた「蘭亭序」の真筆を手に入れ、それを死後に昭陵に納めさせたと伝えられている。
一方で、即位に関して敵対関係にあった兄の李建成や弟の元吉に先んじて対抗処置として行った玄武門の変にて殺害しており、また高句麗への2度の遠征に失敗している。
また『太宗実録』の編者であった許敬宗は、賄賂により筆を曲げたと両唐書の伝にあり、太宗に関する記録の全てが信用できるとは限らない
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