4世紀初めの九州の女王たち
2~3世紀の日本列島は、まだ大小の国々に分かれていたようです。その中には、女性の霊能者(シャーマン)を首長としていただく国々も多数ありました。
第12代景行天皇の時代(仮に実在したとして4世紀初めと推定される)になってもなお、図のように各地に多くの女王がいました。彼女らはその後大和政権に恭順するかまたは「土蜘蛛」(つちぐも)として征伐されました。
肥前國の土蜘蛛「八十女」(やそめ。八十は多数のという意味)は全員で大和政権に反抗して壮絶な最期を遂げたようです。筑後國では、八女縣に「八女津姫」(やめつひめ)という女王がいたようです。また、山門縣に「田油津姫」(たぶらつひめ)という女王がいて神功皇后に土蜘蛛として征伐されたようです。
なお、そのころ九州の南部は、まだ熊襲(くまそ)と隼人(はやと)の「独立国」でした。
2~3世紀の日本列島は、まだ大小の国々に分かれていたようです。その中には、女性の霊能者(シャーマン)を首長としていただく国々も多数ありました。
第12代景行天皇の時代(仮に実在したとして4世紀初めと推定される)になってもなお、図のように各地に多くの女王がいました。彼女らはその後大和政権に恭順するかまたは「土蜘蛛」(つちぐも)として征伐されました。
肥前國の土蜘蛛「八十女」(やそめ。八十は多数のという意味)は全員で大和政権に反抗して壮絶な最期を遂げたようです。筑後國では、八女縣に「八女津姫」(やめつひめ)という女王がいたようです。また、山門縣に「田油津姫」(たぶらつひめ)という女王がいて神功皇后に土蜘蛛として征伐されたようです。
なお、そのころ九州の南部は、まだ熊襲(くまそ)と隼人(はやと)の「独立国」でした。
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