茶室「花月楼」は7代藩主毛利重就が、利休の流れを汲む表千家の家元、第7代如心斎の門人、江戸千家の元祖川上不白の献上した花月楼の設計図にもとづいて、安永5年(1776)三田尻(防府市)の別邸内に建築したものである。
重就の没後、その寵愛を受けた御茶堂竹田休和が9代藩主斉房から貰い受けて平安古の自分の屋敷内に移築し、その記念に「花月楼之記」を作った。明治21年(1888)品川弥二郎がこの建物を松本橋のたもとの自宅に保存していたものを昭和34年(1959)に現位置に移築した。
ということで、現在、松陰神社境内にある花月楼は、もともと三田尻御茶屋にあったものです。
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