★皆で使おう!「もし私が死んだら殺されたと思ってください!」宣言★
~ テレ朝の岩路ディレクターたちの死を無駄にしたくないから…! ~
こんにちは、もし私が死んだら殺されたと思ってください。
ちょっと古い記事ですみません。私も、かつてから、この言葉が権力に反する発言の自己防衛手段として、最も有効なものかと考えていました。しかし、「もし私が死んだら殺されたと思ってください!」の言葉を最後にテレ朝ニュースステーションの岩路ディレクターの命は悲しい結末になってしまいました。この時より、私たちも考えを新たにする必要性を考えさせられました。
…といっても、自分の発言を自ら抑制したりするつもりは、一切ありません。ただただ、ニュースステーションの岩路ディレクターの死は無駄にしたくありませんし、今後の犠牲者(命を失った方だけではなく、番組を降板させられたメディアの方々も含めて…)をこれ以上増やしたくない気持ちです。
私も正直、死にたくありません。というより私たち庶民はメディアのディレクター、コメンテイターほどの社会的影響力はないので、SNSアカウント停止程度で、命まで狙われるとも考えてはいません。
しかし、いつか、権力者にとって致命的な情報を拡散させたことに目をつけられ、致命的な制裁を受けないとは限りません。
物騒な話で恐縮ですが、日本だけではなく、世界的にも権力者に不都合な者は消さる…という事実は、よくある話です。気を引き締めていきたいと思います。
そこで、私から、ひとつの提案をさせていただきます。
効力は薄いかもしれませんが、反権力的な発言をする際には、必ず前置きとして「もし私が死んだら殺されたと思ってください!」の一言を投稿する文に入れることは、やはり必要なことだと考えております。
この言葉は「私は自殺はしません。」という宣言であり、死ぬ時は「他殺」であることを皆に知ってもらう上でも重要な一言です。
岩路ディレクターは、この言葉を使っても犠牲者のひとりとなってしまいました。自殺に見せかけた他殺という卑劣な方法で…。
しかし、私たちは、これに怯えることはないと思います。私たちの数多くが、この言葉を連呼することにより、自己防衛力は、より強固なものとなるでしょうし、権力者側からも安易な制裁をすることはできなくなるはずです。
ところで、プログや動画で活躍中の「さゆふらっとまうんど」さんなども動画の中で、このセリフは使っています。彼の場合、この言葉に加え「自分が殺された場合、自分の意思をつぐ者たちにより、権力への抵抗勢力は拡大するだろう」という、より強固な発言を防衛手段としています。(彼の言動・行動からも、単なる威嚇ではなく、本当に権力者を追い詰める体制ができていると私は察していますが…。)
私たちには、そこまでのことはできません。
ですから、キャッチフレーズ的な使用、あいさつの冒頭文などでもよいと思います。権力者を追い詰めるための流行語でもよいとさえ思います。賛同される方は、「もし私が死んだら殺されたと思ってください!」を投稿の文章の中に入れることへの協力をお願いいたします。
これは、私たちにできる岩路ディレクターをはじめ、不本意な亡くなり方をした方々への、ささやかな弔いとなるはずです。
以後、私も積極的に、この言葉は使用していこうと考えております。
~ テレ朝の岩路ディレクターたちの死を無駄にしたくないから…! ~
こんにちは、もし私が死んだら殺されたと思ってください。
ちょっと古い記事ですみません。私も、かつてから、この言葉が権力に反する発言の自己防衛手段として、最も有効なものかと考えていました。しかし、「もし私が死んだら殺されたと思ってください!」の言葉を最後にテレ朝ニュースステーションの岩路ディレクターの命は悲しい結末になってしまいました。この時より、私たちも考えを新たにする必要性を考えさせられました。
…といっても、自分の発言を自ら抑制したりするつもりは、一切ありません。ただただ、ニュースステーションの岩路ディレクターの死は無駄にしたくありませんし、今後の犠牲者(命を失った方だけではなく、番組を降板させられたメディアの方々も含めて…)をこれ以上増やしたくない気持ちです。
私も正直、死にたくありません。というより私たち庶民はメディアのディレクター、コメンテイターほどの社会的影響力はないので、SNSアカウント停止程度で、命まで狙われるとも考えてはいません。
しかし、いつか、権力者にとって致命的な情報を拡散させたことに目をつけられ、致命的な制裁を受けないとは限りません。
物騒な話で恐縮ですが、日本だけではなく、世界的にも権力者に不都合な者は消さる…という事実は、よくある話です。気を引き締めていきたいと思います。
そこで、私から、ひとつの提案をさせていただきます。
効力は薄いかもしれませんが、反権力的な発言をする際には、必ず前置きとして「もし私が死んだら殺されたと思ってください!」の一言を投稿する文に入れることは、やはり必要なことだと考えております。
この言葉は「私は自殺はしません。」という宣言であり、死ぬ時は「他殺」であることを皆に知ってもらう上でも重要な一言です。
岩路ディレクターは、この言葉を使っても犠牲者のひとりとなってしまいました。自殺に見せかけた他殺という卑劣な方法で…。
しかし、私たちは、これに怯えることはないと思います。私たちの数多くが、この言葉を連呼することにより、自己防衛力は、より強固なものとなるでしょうし、権力者側からも安易な制裁をすることはできなくなるはずです。
ところで、プログや動画で活躍中の「さゆふらっとまうんど」さんなども動画の中で、このセリフは使っています。彼の場合、この言葉に加え「自分が殺された場合、自分の意思をつぐ者たちにより、権力への抵抗勢力は拡大するだろう」という、より強固な発言を防衛手段としています。(彼の言動・行動からも、単なる威嚇ではなく、本当に権力者を追い詰める体制ができていると私は察していますが…。)
私たちには、そこまでのことはできません。
ですから、キャッチフレーズ的な使用、あいさつの冒頭文などでもよいと思います。権力者を追い詰めるための流行語でもよいとさえ思います。賛同される方は、「もし私が死んだら殺されたと思ってください!」を投稿の文章の中に入れることへの協力をお願いいたします。
これは、私たちにできる岩路ディレクターをはじめ、不本意な亡くなり方をした方々への、ささやかな弔いとなるはずです。
以後、私も積極的に、この言葉は使用していこうと考えております。
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