今回は、ちょっと倫理的と言いますか、「区別」して話します。
人は生まれもって、全ては同じではありません。
優れた人もいれば、残念な人も存在します。
日本人もいれば、外国人もいます。
痩せた人もいれば、太ってる人もいます。
努力の範囲内で、解決できる場合と、生まれ持った性質によって、解決できない場合もあります。
もしかしたら、「選民思想」といわれてしまうかもしれません。
同じ人だから、「区別」「差別」は良くないという表現はよく使われます。
では、猿なら、命としては別なのでしょうか。
さらに、猿じゃなくて、虫だったら、その命の価値はどうなのでしょうか。
人種、民族、人、猿人、猿、ネズミ、昆虫、・・・。と、どの辺で、どのように区別するのか。
蚊やゴキブリなら退治してもよいのでしょうか。
そこで思ったことは、「蚊やゴキブリ」は害虫である。ということ。
つまり、自分にとって、害のあるものは、「敵」として認識しても、仕方ない。
その本人が、生きていくうえで、「害」を被ることがあるなら、もしかして、「退治」してもよいというか、正統性があるのかもしれないと思ったことです。
生きていくうえで、どうしても「折り合いのつかない人間関係」は存在します。
だからといって、確かに「命を奪う」のはよくないです。
ですが、「折り合いのつかない人間」(敵=害虫)と考えても、間違えではないような雰囲気もします。
下手に「自由・平等・博愛(友愛)」というのが、根付いていると思います。
今回は、「人間・哺乳類・昆虫・・・。」と、どこで線を引くかを考えてみて、その線は、「人間に引いてもよい」のかもしれない。ということです。
(ただ、人は間違いをするものですので、その辺も忘れてはいけません)
もしかしたら、虫ケラのような人と害虫は同じ存在かもしれない。というテーマでした。
人は生まれもって、全ては同じではありません。
優れた人もいれば、残念な人も存在します。
日本人もいれば、外国人もいます。
痩せた人もいれば、太ってる人もいます。
努力の範囲内で、解決できる場合と、生まれ持った性質によって、解決できない場合もあります。
もしかしたら、「選民思想」といわれてしまうかもしれません。
同じ人だから、「区別」「差別」は良くないという表現はよく使われます。
では、猿なら、命としては別なのでしょうか。
さらに、猿じゃなくて、虫だったら、その命の価値はどうなのでしょうか。
人種、民族、人、猿人、猿、ネズミ、昆虫、・・・。と、どの辺で、どのように区別するのか。
蚊やゴキブリなら退治してもよいのでしょうか。
そこで思ったことは、「蚊やゴキブリ」は害虫である。ということ。
つまり、自分にとって、害のあるものは、「敵」として認識しても、仕方ない。
その本人が、生きていくうえで、「害」を被ることがあるなら、もしかして、「退治」してもよいというか、正統性があるのかもしれないと思ったことです。
生きていくうえで、どうしても「折り合いのつかない人間関係」は存在します。
だからといって、確かに「命を奪う」のはよくないです。
ですが、「折り合いのつかない人間」(敵=害虫)と考えても、間違えではないような雰囲気もします。
下手に「自由・平等・博愛(友愛)」というのが、根付いていると思います。
今回は、「人間・哺乳類・昆虫・・・。」と、どこで線を引くかを考えてみて、その線は、「人間に引いてもよい」のかもしれない。ということです。
(ただ、人は間違いをするものですので、その辺も忘れてはいけません)
もしかしたら、虫ケラのような人と害虫は同じ存在かもしれない。というテーマでした。
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