神奈川県
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概況
浅草の弾左衛門が由比ヶ浜出自としているが自称であり確証はない。由比ヶ浜の長吏は鎌倉幕府の捕方であり、死刑執行人であった。長吏は長いこと、鎌倉鶴岡八幡宮の祭りでは祭列の先頭に立ち、穢れた空間を清める存在として欠かせない存在であった。彼らによって清められた空間を神輿や神人や供僧らが渡って行く。
鎌倉市内では台(丁目ではない地区)・山ノ内字藤源治・岩瀬字土腐。
神奈川県内には行政に把握されているだけで34地区の被差別部落があり、そのうち未指定地区が17地区。同和対策事業未実施地区が11地区。ただし行政に把握されていない被差別部落もあり、実態は50地区前後とされる[1]。横浜市内の被差別部落は瀬谷区・金沢区・緑区など5ヶ所しかないと言われているが、本田豊によるとこの5ヶ所は単に穢多や長吏の集住地に過ぎず、黒船の浦賀来航以降に品川や芝浦の非人溜まりから移されて警備の仕事に従事していた者の集住地(南区など)を含んでいないという[2]。その他、横浜市の行政関係者の共通認識としては市内の同和地区は20ヶ所ともいわれるが、金沢区1ヶ所、南区3ヶ所、中区・港北区・瀬谷区・緑区・神奈川区に各1ヶ所(合計9ヶ所)ともいう説もある[3]。
神奈川県の被差別部落の統計[4]
調査年 | 地区数 | 戸数 | 人口 |
---|---|---|---|
1921年 | 33 | 932 | 5712 |
1935年 | 31 | 933 | 5400 |
1985年 | 4 | 391 | 1805 |
以下、『ドキュメント差別糾弾』に登場する被差別部落を紹介する。
- 横浜市S地区(西区浅間町? 南区清水ヶ丘? 南区山谷町?)、N地区(南区中村町? 西区西戸部町?) - 江戸時代末期、日米通商条約などにより横浜の開港を迫られ、当時寒村であった横浜を港にする突貫工事の労働者の寄場が起源。[5]
- 横浜市Y地区(南区八幡町?) - 横浜周辺に多い谷戸にひらかれた町並。県内の大きな被差別部落からの移住者が多い。江戸時代末期、外国人居留地と日本人商社街の夜の警備をしていたのが当時の被差別部落民だった。彼らは、県内各地の被差別部落から交代で来ていた。この地区は今でも道が狭く、バラック建てに近い小さな家が軒を並べている。地区の南側に高台がある。[6]
- 横浜市M町[7] - 南区南太田? 中区三吉町? あるいは磯子区峰町?
神奈川県内には川崎、横浜、大磯、秦野、山北の5ヶ所に部落解放同盟神奈川県連の支部があり[8]、やがて小田原、横須賀、伊勢原、厚木、湯河原にも支部が生まれた[9]。県連事務局は山北町岸1149に置かれているが、山北の地区は38戸に過ぎない[10]。
横浜市では、1980年に青和会の流れを引く運動家が六浦支部を結成した[11]。
小田原市の地区は約65戸。戦国時代末期、太郎右衛門と共に長吏頭として登場する小田原の太郎左衛門が、この村にいた[12]。
横須賀市の地区は約20戸。このほか、戦前の海兵団の施設を作るとき周辺に強制移転させられた家が40戸以上ある[13]。
厚木市下古沢の地区は約170戸[14]。この地区に特徴的な苗字は本杉、頼住、伊藤、仲田である。山北町岸字南原の地区(別名は別所)は戸数約55戸である[15]。この地区に特徴的な苗字は三尋木、原、尾崎、川口、府川、本杉、杉本、武井、高橋などである。
藤野豊は、神奈川県で最大の部落は秦野にあると述べている[16]。秦野の曾屋部落からは、町会議員の森崎和三郎や、俳人の井上自衛(出生名・三川松助)が出ている[17]。神権連の本部は秦野市曾屋5705にある。
一方、本田豊によると、県下最大の部落は横浜市南区にあり非人系であるという[18]。そして秦野の部落を県下最大の長吏系部落と位置づけている[19]。本田豊によると、横浜、小田原、秦野の部落はいずれも100戸を超える[20]。
横浜市西区西戸部町には「豚谷戸」との俗称があった[21]。横浜市中区南太田町は「乞食谷戸」と呼ばれていた[22]。これらの地区を指して、小島烏水は「豚谷戸だの、乞食谷戸だのといふ綽名があって、特殊の部落も、その窪地にある、かういふ部落が、新開港場の横浜にあるのは、珍しい」と記している[23]。
1921年の内務省の統計資料では、神奈川県内の被差別部落数は33ヶ所、戸数は932戸とされた[24]。
県下では明治時代に招友義会が新平民へのキリスト教伝道に従事し、溝の口に拠点となる教会を建て、その周辺の被差別部落から調査・伝道を開始した[25][26]。招友義会では、1894年の年末から一週間にわたり県下各地の被差別部落を調査したが、その訪問先は小田原、酒匂、横浜市小机、横浜市十日市場、川崎市馬絹、川崎市下作延、世田谷区奥沢、世田谷区等々力、世田谷区喜多見、調布市布田、稲城市矢野口などであった[27][28]。1921年の内務省社会局の調査では、馬絹の被差別部落は戸数25、人口164、主業は農業及び商業となっており、屠獣や製皮は行っていなかった[29][30]。
川崎市麻生区早野の未指定地区は、1935年の中央融和事業協会「全国部落調査」によると戸数19、人口170、主な職業は主業が「雑」、副業が「農」となっている[31]。また1921年の内務省「全国部落所在地調」では戸数20、人口118、職業は農業および商業となっている[32]。宗教は時宗である[33]。
横浜市小机の被差別部落は、1934年11月の中央融和事業協会「全国部落調査」によると戸数22、人口145、職業は主業が商業、副業が「雑」、生活程度・中となっている[34]。
本田豊は「川崎市内にYという姓ばかりの30戸ほどの部落がある。ここは中世の鎌倉攻めのときに、たくさんの矢が降ったからYという姓がついた、といわれています。部落内を旧鎌倉街道が通っています」[35]とも述べている。2000年版の電話帳データでは川崎市宮前区馬絹に降矢姓が1軒だけ残っていたがイニシャルはYではなく、本田がこの姓を指していたのかどうかは明らかでない。
文献
全國部落調査(1934年)
神奈川縣 昭和九年十一月現在
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
横浜市 神奈川区 小机町 | 根崎 | 二二 | 一四五 | 商業 | 雑 | 中 | 横浜市 港北区 小机町 | この地区に特徴的な苗字は神本。2000年版の電話帳で8世帯、全国1位。 |
久良岐郡 六浦荘村 三分 | 髙谷 | 四九 | 二七六 | 職工 | 雑 | 下 | 横浜市 金沢区 六浦東 2丁目の一部 | 高谷町内会館がある。集落中心部に白山神社。集落内傾斜地に専用墓地がある。 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
橘樹郡 宮前村 馬絹 | 矢中 | 二一 | 一〇三 | 農業 | 雑 | 下 | 川崎市 宮前区 馬絹 | この地区に特徴的な苗字は入口。2000年版の電話帳で10世帯、全国4位。 |
〃 高津町 下作辺 | 谷戸 | 三一 | 一五五 | 雑 | 農業 | 中 | 川崎市 高津区 下作延 | 下作辺は下作延。この地区に特徴的な苗字は木所。2000年版の電話帳で26世帯、全国1位。 |
都筑郡 新治村 十日市場 | 坂下 | 五 | 一八 | 雑 | 農業 | 下 | 横浜市 緑区 十日市場町 | |
〃 川和町 池辺 | 池辺 | 六 | 六七 | 農業 | ― | 下 | 横浜市 都筑区 池辺町 | |
〃 柿生村 早野 | 下分 | 一九 | 一七〇 | 雑 | 農業 | 下 | 川崎市 麻生区 早野 | |
三浦郡 浦賀町 馬堀 | 馬堀 | 五五 | 三三〇 | 雑 | 商業 | 下 | 横須賀市 馬堀町 | |
〃 武山村 林 | 東町 | 三二 | 一五七 | 雑 | 農業 | 下 | 横須賀市 林 | |
〃 北下浦村 野比 | 中村 | 一一 | 六四 | 農業 | 雑 | 中 | 横須賀市 野比 | 野比2-325-22に野比中村公園がある。この地区に特徴的な苗字は菱沼。2000年版の電話帳で58世帯、全国1位。 |
鎌倉郡 鎌倉町 極楽寺 | 極楽寺 | 一三 | 八四 | 雑 | 商業 | 中 | 鎌倉市 稲村ガ崎 1丁目 | 「極楽寺村の長吏戸数八軒、小名金山に住す。今其首長を、九郎右衛門と云う」と『新編相模国風土記稿』にある[36]。大字極楽寺字金山は1969年2月1日、稲村ガ崎一丁目となった。長吏頭九郎右衛門の苗字は由井。金山を訪れた菊池山哉によると被差別部落の住民は全て由井姓であり、由井氏の名ばかり刻んだ墓地もあるという。2000年の電話帳によると、稲村ガ崎一丁目4番地付近には由井姓の住民が8世帯登録されている。また藤沢市藤沢の白山神社の近くや、横須賀市馬堀町三丁目の旧白山神社所在地の近くにも各6世帯ずつ由井姓が分布しており、同じ一族である。極楽寺の長吏の由井家から浅草弾左衛門が出たと「弾左衛門由緒書」は伝えるが、確証はない[37][38]。 |
〃 瀬谷村 上瀬谷 | 竹村 | 二二 | 一二〇 | 農業 | 雑 | 下 | 横浜市 瀬谷区 竹村町 | |
高座郡 相原村 橋本 | 前村 | 五 | 三九 | 農業 | ― | 下 | 相模原市 緑区 橋本 | |
〃 田名村 陽原 | 陽原 | 五 | 三〇 | 農業 | ― | 下 | 相模原市 中央区 田名 陽原 | 読みは「みなみばら」。 |
〃 有馬村 本郷 | 下河内 | 一五 | 一〇七 | 農業 | 雑 | 中 | 海老名市 本郷 下河内 | この地区に特徴的な苗字は根村。2000年版の電話帳で5世帯、全国1位。 |
〃 藤澤村 藤澤 | 本部屋 | 三三 | 一七二 | 商業 | 雑 | 中 | 藤沢市 藤沢 | |
中郡 大磯町 | 裡道 | 三一 | 一二〇 | 商業 | 雑 | 中 | 中郡 大磯町 大磯 | |
〃 神田村 田村•大神 | 田村•大神 | 三四 | 一五五 | 農業 | 雑 | 中 | 平塚市 田村、大神 | この地区に特徴的な苗字は逆藤(さかふじ)。2000年版の電話帳で田村に4世帯、全国1位。同じく被差別部落である大神にも1世帯あり。 |
〃 相川村 岡田 | 岡田上 | 一九 | 一三六 | 農業 | 漁業 | 下 | 厚木市 岡田 |
部落所在地 | 部落名 | 戸数 | 人口 | 主業 | 副業 | 生活程度 | 現在地 | 備考 |
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中郡 伊勢原町 板戸 | 大塚戸 | 一八 | 九三 | 農業 | 雑 | 下 | 伊勢原市 板戸 | |
〃 高部屋村 上粕屋 | 石倉山、丸山 | 六六 | 三九一 | 農業 | 雑 | 下 | 伊勢原市 上粕屋 | 丸山遺跡は下糟屋にある。 |
〃 比々多村坪ノ内 | 長燈籠 | 一二 | 六九 | 農業 | 雑 | 下 | 伊勢原市 坪ノ内 | |
〃 秦野市 曽屋 | 中野 | 一三五 | 八七二 | 農業 | 職工・商業 | 下 | 秦野市 曽屋 中野 | この地区に特徴的な苗字は三川。2000年版の電話帳で43世帯、全国1位。同じく被差別部落である神奈川県 厚木市 下古沢にも4世帯ある。なお、広島県 東広島市 西条下三永や愛媛県 越智郡上浦町 盛にも6世帯あり、広島県下の複数の被差別部落に三川姓が分布しているものの、これは広島県世羅郡世羅町の前身の一つである三川村に由来している可能性が高い。神奈川県の被差別部落の三川姓と関連しているかどうかは不明。 |
足柄上郡 山北町 岸 | 南原 | 三〇 | 一九五 | 農業 | 雑 | 下 | 足柄上郡 山北町 岸 | この地区に特徴的な苗字は三尋木。2000年版の電話帳で6世帯、全国1位。 |
〃 東足柄村 関本 | 新村 | 七 | 二〇 | 雑 | 農業 | 下 | 南足柄市 関本 | |
足柄下郡 酒匂村 酒匂、山王原 | 南市場、中町 | 七七 | 二八五 | 商業 | 雑 | 下 | 小田原市 酒匂、東町 | 大字酒匂は酒匂、西酒匂、南鴨宮にまたがっており、大字山王原は寿町、中町、浜町、東町にまたがっている。 |
〃 吉浜村 吉浜 | 千歳ヶ岡 | 三六 | 一九三 | 雑 | 農業 | 中 | 足柄下郡 湯河原町 吉浜千歳ヶ岡 | |
愛甲郡 南毛利村 愛名 | 北ヶ谷戸、浅見山上 | 二三 | 一四七 | 農業 | 雑 | 下 | 厚木市 愛名 北ヶ谷 | |
〃 小鮎村 飯山、下古沢 | 下飯山、下古沢下分 | 九七 | 五〇〇 | 農業 | 雑 | 中 | 厚木市 飯山、下古沢 | 飯山に特徴的な苗字は頼住。2000年版の電話帳で15世帯、全国1位。同じく被差別部落である神奈川県 厚木市 下古沢にも5世帯、神奈川県 伊勢原市 上粕屋、神奈川県 厚木市 旭町、神奈川県 秦野市 曽屋にも各2世帯ある。 |
〃 依知村 中依知 | 中村 | 七 | 四六 | 農業 | 漁業 | 下 | 厚木市 中依知 | この地区に特徴的な苗字は茂戸藤(もとふじ)、2000年版の電話帳で世帯数12、全国1位。 |
〃 厚木町 旭町 | 旭町 | 七 | 四一 | 農業 | 雑 | 中 | 厚木町 旭町 | この地区に特徴的な苗字は聖代橋、2000年版の電話帳で世帯数5、全国1位。 |
計三一 | 三一 | 九三三 | 五四〇〇 |
施設等
隣保館
- 秦野市ほうらい会館 - 神奈川県秦野市曽屋5798番地の3
- 横浜市第一隣保館(現存せず) - 神奈川県横浜市中区南太田町字富士見耕地948[39]
- 横浜市第二隣保館(現存せず) - 神奈川県横浜市中区中村町字中居1314[40]
- 横浜市第三隣保館(現存せず) - 神奈川県横浜市神奈川区浅間町字鹿島662[41]
- 横浜市第四隣保館(現存せず) - 神奈川県横浜市鶴見区潮田町字向原1732[42]
- 横浜市第五隣保館(現存せず) - 神奈川県横浜市中区西戸部町字小松原 旧産院内[43]
関連団体
- 部落解放同盟神奈川県連合会横浜市協議会 神奈川県横浜市金沢区六浦東2-13-34
- 神奈川県地域人権運動連合会横浜支部 神奈川県横浜市金沢区六浦東2-12-27
- 全日本同和会神奈川連合会横浜支部 神奈川県横浜市南区花之木町2-29-1
- 自由同和会神奈川県本部 神奈川県小田原市城山4-5-13
県内の白山神社
- 神奈川県横浜市神奈川区浦島町373
- 神奈川県横浜市港北区小机町110(愛宕社や神明社とともに小机住吉神社として合祀済)
- 神奈川県横浜市港北区新羽町3918(合祀されて杉山神社)
- 神奈川県横浜市港北区新吉田町3490(合祀されて若雷神社)
- 神奈川県横浜市港北区下田町3-1-4(下田神社。境内社として白山神社あり)
- 神奈川県横浜市港北区高田西4-34-35(塩谷寺。白山社あり)
- 神奈川県横浜市港北区大曽根台9-30(大乗寺。門外に白山稲荷合社あり)
- 神奈川県横浜市港北区下田町3-11-5(眞福寺。本堂に向って左に白山辨財天第六天天神稲荷秋葉合社あり)
- 神奈川県横浜市鶴見区馬場1丁目2−1
- 神奈川県横浜市鶴見区馬場4-7-5(寳藏院。境内に白山神社あり)
- 神奈川県横浜市鶴見区下末吉6丁目19−31(祠のみ、寶泉寺境内)
- 神奈川県横浜市鶴見区潮田町3-131-1(合祀されて潮田神社)
- 神奈川県横浜市磯子区上町12
- 神奈川県横浜市磯子区栗木2丁目13−21(合祀されて栗木神社)
- 神奈川県横浜市南区別所2-30-29(白山社)
- 神奈川県横浜市南区井土ケ谷上町33−2(合祀されて住吉神社)
- 神奈川県横浜市港南区上永谷5丁目1−5(永谷天満宮境内)
- 神奈川県横浜市緑区白山2丁目35−1
- 神奈川県横浜市緑区台村町549(祠のみ、弘聖寺境内)
- 神奈川県横浜市緑区東本郷4-12-16(本郷神社。末社として白山神社あり)
- 神奈川県横浜市青葉区市ケ尾町1050−17(祠のみ、朝光寺境内)
- 神奈川県横浜市青葉区奈良2-4-7(松岳院。境内に入って左の方山丘の半腹に白山社あり)
- 神奈川県横浜市磯子区峰町623(峰白山神社)
- 神奈川県横浜市栄区東上郷町1216-331あるいは44-9 (1974年に栄区長倉町から移転)
- 神奈川県横浜市栄区上郷町745−1(合祀されて思金神社)
- 神奈川県横浜市泉区下飯田町742
- 神奈川県横浜市泉区岡津町1432(永明寺。白山社あり)
- 神奈川県横浜市旭区さちが丘59(長昌寺。門をへて左に白山社あり)
- 神奈川県横浜市金沢区六浦東2丁目13-20
- 神奈川県横浜市金沢区釜利谷南2丁目44番24号付近(東光寺持ち)
- 神奈川県横浜市戸塚区矢部町788(雲林寺。白山社あり)
- 神奈川県横浜市戸塚区川上町546(徳翁寺。白山社あり)
- 神奈川県横浜市瀬谷区三ツ境8-24付近(白姫神社)
- 神奈川県川崎市宮前区馬絹986(馬絹神社)合祀済
- 神奈川県川崎市宮前区野川419(影向寺。本堂の艮に白山山王合社の祠あり)
- 神奈川県川崎市麻生区白山4丁目3−1
- 神奈川県川崎市麻生区上麻生7-38-4(合祀されて月読神社となる)
- 神奈川県川崎市麻生区上麻生6-37-6(東林寺。本堂の乾の方に稲荷白山明神合祠あり)
- 神奈川県川崎市麻生区栗木1丁目10−1
- 神奈川県川崎市麻生区栗木台1-15-1(林清寺。本堂に向って右に白山社あり)
- 神奈川県川崎市高津区下作延7丁目10−1(祠のみ、円福寺境内)
- 神奈川県川崎市中原区木月1-20-1(合祀されて住吉神社)
- 神奈川県川崎市中原区下小田中5-3-15(全龍寺。寺に入って左の方に白山社あり)
- 神奈川県川崎市中原区上小田中7-20-5(泉澤寺。寺を入って左の方、小祠前に稲荷白山合社あり)
- 神奈川県川崎市川崎区宮本町7-7(合祀されて稲毛神社)
- 神奈川県川崎市幸区南加瀬1-2-2(天照皇大神。祭神の一つが白山比咩命)
- 神奈川県藤沢市下土棚1065
- 神奈川県藤沢市藤沢668付近(白山宮)
- 神奈川県藤沢市遠藤2539(御嶽大神)祭神の一つが菊理媛命。
- 神奈川県藤沢市辻堂元町3-9-21(現在は合祀されて白山三島神社)
- 神奈川県鎌倉市稲村ガ崎1丁目6−5
- 神奈川県鎌倉市山ノ内字藤源治(祠のみ)
- 神奈川県鎌倉市今泉3丁目13−20
- 神奈川県鎌倉市二階堂903(杉本寺本堂右手、祠のみ)
- 神奈川県逗子市山の根2丁目4−1(現在は合祀されて熊野神社)
- 神奈川県厚木市飯山3233(地元の部落姓は「頼住」)
- 神奈川県厚木市愛甲795(現在は合祀されて熊野神社)
- 神奈川県海老名市本郷2657(現在は合祀されて本郷神社)
- 神奈川県海老名市上郷1-20-1(龍昌院。境内に白山社あり)
- 神奈川県綾瀬市早川1802付近
- 神奈川県伊勢原市上粕屋1334(上粕屋神社)祭神の一つが菊理媛命。
- 神奈川県伊勢原市上粕屋一之郷2496
- 神奈川県伊勢原市上粕屋石倉1646南側
- 神奈川県伊勢原市上粕屋1160(洞昌院。白山社が合祀されている)
- 神奈川県伊勢原市坪ノ内9(福昌院。白山神明稲荷秋葉山王合社あり)
- 神奈川県伊勢原市三ノ宮1472(比々多神社。末社として白山社あり)
- 神奈川県秦野市曽屋1-8-28(曾屋神社)祭神の一つが菊理媛命。
- 神奈川県秦野市曽屋5267(地元の部落姓は「三川」)
- 神奈川県秦野市千村1115
- 神奈川県秦野市西田原
- 神奈川県平塚市土屋
- 神奈川県平塚市平塚1098(現在は合祀されて春日神社)
- 神奈川県平塚市田村下町小字馬場(2008年に祠と丸石と台座が処分され、小字改戸の天獏社に合祀)
- 神奈川県平塚市田村上町小字尾崎
- 神奈川県平塚市東真土3-5-8(現在は合祀されて真土神社)
- 神奈川県茅ヶ崎市芹沢2169(現在は合祀されて腰掛神社)
- 神奈川県足柄上郡中井町岩倉
- 神奈川県足柄上郡山北町岸1900(現在は合祀されて八幡神社)
- 神奈川県小田原市多古669
- 神奈川県小田原市上曽我
- 神奈川県小田原市酒匂4丁目8
- 神奈川県小田原市東町1丁目19−21
- 神奈川県小田原市扇町5丁目7−29
- 神奈川県小田原市鬼柳
- 神奈川県小田原市風祭863(万松院。境内の鎮守として白山社あり)
- 神奈川県小田原市城山2-23-3(桃源寺。白山社あり)
- 神奈川県小田原市板橋831(興徳寺。白山社あり)
- 神奈川県足柄下郡箱根町湯本431
- 神奈川県南足柄市矢倉沢1483-ロ
- 神奈川県横須賀市大津町4丁目22−22(現在は合祀されて諏訪神社)
- 神奈川県横須賀市平作6-7-1(現在は合祀されて平作神社)
- 神奈川県横須賀市馬堀町3丁目(1954年に社殿が移築再建され横須賀市三春町5-13の泉福寺本堂となる)
- 神奈川県三浦市南下浦町菊名149
- 神奈川県相模原市緑区長竹1185−6
- 神奈川県相模原市緑区名倉4524(石楯尾神社)祭神の一つが菊理媛命。
- 神奈川県相模原市緑区東淵野辺3-25-1
- 神奈川県相模原市緑区根小屋2862(龍像寺。白山社あり)
- 神奈川県相模原市南区新戸2075
- 神奈川県相模原市南区上鶴間本町8-54-21(泉龍寺。白山社あり)
- 神奈川県座間市入谷3-3583(星谷寺。境内の鎮守として白山社があった)
- 神奈川県座間市入谷1-3530(龍源院。境内の鎮守として白山社あり)
- 神奈川県中郡大磯町大磯1253
- 神奈川県中郡大磯町高麗坊地577
神奈川県足柄下郡湯河原町に白山神社はないように見えるが、神奈川県足柄下郡湯河原町宮下359−1の五所神社は二見加賀之助重行が湯河原に金沢の白山信仰を伝えるべく開いたものであり、主祭神九柱の中に諾冉二柱を含むことから、本来は白山神社だったのではないかとの指摘がなされている。
県内の青和会支部所在地[44]
- 鎌倉郡鎌倉(現在の鎌倉市)ただし藤野豊『忘れられた地域史を歩く: 近現代日本における差別の諸相』44頁によると「青和会鎌倉支部は、円覚寺周辺の人々を組織し、被差別部落とは直接関わりを持たなかった」という。
- 久良岐郡六浦荘(現在の横浜市金沢区)
- 横須賀(現在の横須賀市)
- 三浦郡北下浦(現在の横須賀市)
- 愛甲郡小鮎(現在の厚木市)
- 中郡秦野(現在の秦野市)
- 橘樹郡宮前(現在の川崎市宮前区)
- 三浦郡浦賀(現在の横須賀市)
- 鎌倉郡瀬谷(現在の横浜市瀬谷区)
- 中郡高部屋(現在の伊勢原市)
- 足柄下郡酒匂(現在の小田原市)
- 中郡神田(現在の平塚市)
- 中郡伊勢原(現在の伊勢原市)
- 三浦郡武山(現在の横須賀市)
- 足柄上郡山北(現在の山北町)
- 橘樹郡高津(現在の川崎市高津区)
- 高座郡有馬(現在の海老名市)
- 中郡相川(現在の厚木市)
- 足柄下郡吉浜(現在の湯河原町)
- 愛甲郡南毛利(現在の厚木市)
- 中郡比々多(現在の伊勢原市)
外部リンク
- https://web.archive.org/web/20040113025430/http://members.at.infoseek.co.jp/trotzdem/odawara.htm (神奈川県小田原市の部落)
出典
- ↑ 『ドキュメント差別糾弾』
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』205頁
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』9頁
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』11頁
- ↑ 『ドキュメント差別糾弾』41-42頁
- ↑ 『ドキュメント差別糾弾』82頁
- ↑ 『ドキュメント差別糾弾』99頁
- ↑ 『ドキュメント差別糾弾』139頁
- ↑ 『ドキュメント差別糾弾』148頁
- ↑ 『ドキュメント差別糾弾』141頁
- ↑ 『ドキュメント差別糾弾』144頁
- ↑ 『ドキュメント差別糾弾』145頁
- ↑ 『ドキュメント差別糾弾』147頁
- ↑ 『解放新聞』1984年3月5日付、6頁
- ↑ 『解放新聞』1984年3月12日付、4頁
- ↑ 藤野豊『神奈川の部落史』48頁
- ↑ 藤野豊『神奈川の部落史』129頁
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』11頁
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』11頁
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』11頁
- ↑ 『吾等の神奈川縣』87ページ
- ↑ 『同潤会十年史』124ページ
- ↑ 『小島烏水全集』235ページ
- ↑ 藤野豊『神奈川の部落史』154頁
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』44頁
- ↑ 『日曜叢誌』1894年9月号
- ↑ 『部落解放教育資料集成』第1巻296-297頁
- ↑ 日本プロテスタント史研究会『日本プロテスタント史の諸問題』152頁
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』48頁
- ↑ 『日曜叢誌』1894年9月号
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』140頁
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』140頁
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』142頁
- ↑ 本田豊『神奈川県の被差別部落』12-13頁
- ↑ 本田豊『白山神社と被差別部落』135頁
- ↑ 荒井貢次郎、藤野豊『近世神奈川の被差別部落』46頁
- ↑ 塩見鮮一郎『弾左衛門の謎』
- ↑ 塩見鮮一郎『弾左衛門とその時代』
- ↑ 『横浜市史稿: 政治編3』第3巻788-789頁
- ↑ 『横浜市史稿: 政治編3』第3巻788-789頁
- ↑ 『横浜市史稿: 政治編3』第3巻788-789頁
- ↑ 『横浜市史稿: 政治編3』第3巻788-789頁
- ↑ 『横浜市史稿: 政治編3』第3巻788-789頁
- ↑ 藤野豊『神奈川の部落史』143頁
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