(※2008年9月に書いた古い記事ですが、今朝のテレビ朝日「モーニングバード」の「そもそも総研」が取り上げた「経済的徴兵制」問題と関連するので紹介しておきます。それと、今朝の「そもそも総研」では、ブログで紹介していた、私の子ども宛の自衛隊からの手紙が使われました。→「高校3年生の子どもに自衛隊から「赤紙」届きました(※「赤紙」=「赤紙なき徴兵制」「経済的徴兵制」)」。そして、「貧困ビジネス」の犠牲者として末端の自衛隊員が苦しめられ、その対極として「死の商人」「軍産複合体」が大儲けするわけです。→「4歳の女の子、7歳の男の子、ロイター記者も「無差別殺人」が米兵のイラク戦争の日常=「戦争法案」がもたらす日本の若者の近未来」、「世界最大の武器展で日本政府が武器輸出PR=「戦争法案」は軍産複合体のビジネスチャンス、軍需企業の自民党献金は1億5千万円と倍増、世界軍事企業ランキングで上昇幅最大の日本企業、防衛省官僚天下り、末端自衛隊員は戦場へ」)
戦争は最大の「貧困ビジネス」、戦争と貧困はつながっている
「わたしのまわりにも、自衛隊に勧誘される女性がいます。まず年収のことを言われて、いろんな資格を取れるという話をされて、『いまの民間企業では絶対、出産したり、子育てしたりできないけど、自衛隊だったら、出産もできて、子育てもできる』と条件ばかりすごく強く言われたそうです。最近は『27歳までだったら、ニートでも、引きこもりでも再チャレンジできますよ』と勧誘されています」(雨宮処凛さん談、『雨宮処凛×香山リカ 対論 生き抜くこと』、七つ森書館)
「私のところ(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい)に自衛隊の募集官が会いたいと来ていました。あまりしつこいので、会ってみた。そうしたら、とにかく手厚い。(中略)年収300万円、400万円です。われわれのところに、中卒でいろいろ転々として生きていけなくなってたどり着く人がたくさんいますが、その人たちが年収300万円の仕事を得られるか、まず無理です。そういうふうに考えると、社会的な地盤沈下が進めば進むほど、自衛隊の相対的な魅力は高まっていって、だからこそいま自衛隊の募集官が、積極的な宣伝攻勢にきているのだろうと思いました」(湯浅誠さん談、「湯浅誠×渡辺治 対談 戦争と貧困」、『週刊金曜日』2008年9月12日付所収)
そして、日本が後を追いかけているアメリカは、堤未果さんの『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書)や「貧困・戦争、そして希望の語り方」(『現代と教育76号 特集 貧困・格差問題と教育』、桐書房所収)によると、次のような実態になっています。
ブッシュ政権は2002年春、全国一斉学力テストを義務化。全米のすべての高校に、生徒の個人情報(親の職業と年収、市民権の有無、生徒の携帯番号等)を軍のリクルーターに提出することを義務づけ、もし拒否したら助成金をカットされ、その高校は成り立たない。
高校生が入隊する2大理由は、大学の「学費免除」と、兵士用の「医療保険」だ(2007年1月時点で、アメリカ国内で医療保険に加入していない国民は4,700万人いるが、特に貧困地域の高校生たちはほとんどが家族そろって無保険のため、入隊すれば本人も家族も兵士用の病院で治療が受けられるという条件は非常に魅力的。イラク戦争が開始された2003年に米軍がリクルートした新兵21万2,000人、そのうち3分の1は高校を卒業したばかりの若者たちだ)
2004年1月のひと月だけで、米国内の37万5,000人が失業手当を打ち切られ、過去30年間で最多人数を記録。一方で、同時期、週に平均200人から300人の社員をイラクやアフガニスタンに派遣する派遣会社(KBR社※この会社の親会社ハリバートン社はチェイニー現副大統領が1995年から2000年までCEOを務めた石油サービス・建設企業)の社員数は6万人を超えた。2005年までに4万8,000人がイラクに派遣されている。派遣社員の労働条件には、「もし現地での勤務中に事故で亡くなった場合や、化学兵器や放射性物質などによって死亡した場合には、本国への遺体送還はあきらめていただく。現地で会社が責任を持って火葬する」とある。
2004年8月、アメリカの派遣会社の社員12人がイラクの武装勢力に処刑される事件が起きた。しかし「派遣社員は民間人の扱いだから戦死者に入らない、つまり政府には発表する義務がない」
もはや徴兵制など必要ない。政府は格差を拡大する政策を次々と打ち出すだけでいい。経済的に追いつめられた国民は、黙っていてもイデオロギーのためではなく生活苦から戦争に行ってくれる。ある者は兵士として、またある者は戦争請負会社の派遣社員として、巨大な利益を生み出す戦争ビジネスを支えてくれる。大企業は潤い、政府の中枢にいる人間たちをその資金力でバックアップする。これは国境を越えた巨大なゲームだ。
堤未果さんは、「貧困・戦争、そして希望の語り方」(『現代と教育76号 貧困・格差問題と教育』)の中で次のように語っています。
アメリカはなぜベトナムから学ばなかったのだろうという人もいますが、ベトナム戦争とイラク戦争をつなげて考える人はあまりいません。貧困層の人たちが生活の手段のためにイラク戦争に行っていると思っています。だから戦争に行くのは自己責任だということになってしまい、ベトナム戦争のときと意識が全然違うんです。そうすると周りに対して、ベトナム戦争みたいに戦争は間違いだという声は上げにくい。戦争に行く過程を振り返ってみると、目的意識がはっきりしたものではなくて、ホームレスになるとかいくつかの選択肢がある中で、たまたま生存権と引き替えに戦争に行ったということになってしまうわけです。生活のために余裕がなくて、お腹がすいていて目の前の食べ物を追いかけているうちに気がついたら戦場にいたということなのです。