○相模原の障害者施設殺傷 良質な言葉、広めよう
社会福祉法人「浦河べてるの家」理事・向谷地生良さん
毎日新聞2016年8月23日 東京朝刊
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米IT大手が、インターネット上で人と会話しながら発達する人工知能の実験を中止したというニュースがあった。「ヒトラーは間違っていない」などと発言するようになったためだという。私は相模原の事件の容疑者が「ヒトラーの思想が降りてきた」と話したという報道を見て、差別的な言葉を浴びるうちに「学習」した人工知能と同じことが、人間でも起きたのではないかと感じた。
社会の中で悪質な言葉や言説が飛び交っている。全体から見れば少数だが影響力は大きい。ヘイトスピーチや移民排斥などの現象が世界で起きている。私たちも気づかないうちに、ある種の「学習」をしている可能性がある。
私は北海道で、精神障害を抱えた人らが地域の中で共に働き、暮らす拠点「浦河べてるの家」を設立し、一緒に活動してきた。統合失調症の人が悩まされる幻聴には、社会の否定的な言葉が取り込まれている。回復には治療というよりも良質の声が必要であり、どういう言葉のやりとりをしているかは大事な要素だ。
事件は悪質な言葉が幅をきかせていることと関係しているかもしれず、良質な言葉を多くすることがこの現実を変えていくと痛感する。学校や職場などの身近な場所で、人を励ましたり、勇気づけたりする言葉を大切にする。互いに大事に思えるような会話を取り戻し、当たり前の良い言葉を広めていく必要がある。
【聞き手・下桐実雅子】
■人物略歴 むかいやち・いくよし
ソーシャルワーカー。北海道医療大学教授。
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http://mainichi.jp/articles/20160823/ddm/012/040/056000c
相模原の事件の本質を「言葉」に見るのは卓見だ。
確かに、ネットもテレビも、妙な言葉が幅を効かせている。それは見えない雨として日々頭に降り注いでいる。
言葉の力で悲劇が起きたならば、元に戻すのも言葉の力だろう。
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人間の脳は、言葉を主要なアルゴリズムとして採用しているため、よくも悪くも言葉に大きな影響を受ける。
トロイの木馬のようにウイルスが感染するように誰かの言葉が脳を占拠すると、洗脳と呼ばれるような状態になる。自分で頭をコントロールできなくなり、脳は奪われ闇の言葉で占拠される。脳が狭い水槽の中に浸されるように黒色に洗われてしまうのだ。そこから出る手段は、狭い水槽から大海原に出ていくことしかないだろう。狭く記号的な言葉から、広く自由なコトバの世界へ広い世界へ抜け出していくしかない。
いい言葉、悪い言葉、というのは、頭や脳にも大きな影響を与えるが、身体感覚にも確実に影響を与えている。だからこそ、自分は脳はもちろん、身体が喜ぶ言葉を発するように気をつけている。それは身体感覚で必ずフィードバックされる。
人間の表層意識と深層意識(意識と無意識)とを媒介してつないでいるのは広義の<言葉>だと思う。<言葉>こそが、内なる異なる世界に橋をかけるものだと思う。
自分は生命の進化と人間の身体との関係に興味があるが、言葉も同じように歴史があり、進化や分化した歴史があると思う。
言葉には歴史があり、その言葉を発した人たちの思いが無数に光の波動のように重なりあっている。明るい光が重なりあう場合もあるし、暗い光が重なりあう場合もある。
<ありがとう>もそうだし、<殺してやる>もそうだ。言葉を発した人たちの思いが呪術のように内蔵されている。ホワイトマジックでもあり、ブラックマジックでもある。
<ありがとう>の言葉の中には、<ありがとう>と発した人の数だけ、質と強度を増している。
適切な言葉を使うこと。
ブッダも八正道の1つに正語をあげていた。(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)
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先日も、自分が1年前に外来で発した言葉を取り上げ、<あの言葉のおかげで自分は自殺しなかったのです。ありがとうございました。>と言われて、かなり驚いた。
こうしたいい場合もあるだろうからそれは嬉しく思ったが、同時に悪い場合もあったかもしれない。何気ない言葉に関して、思わず襟を正して背筋が伸びた。
自分が発した言葉。
そして、それを相手がどう受け取るか。
自分が発する言葉は自分の問題であり、相手がどう受け取るかというのは相手の問題である。そこは課題の分離をしていいと思う。
自分の思いが適切に伝わるように、無限の選択肢の中から適切な言葉選びをすることが大事なことだ。
ただ、その場では相手に適切に伝わらないこともあるだろう。
相手が感情的になっているときはよくあることだ。
ドアがあかないと、部屋には入れない。
ただ、そういうときでも相手の言動や感情に巻き込まれず、自分の言葉に責任を持って言葉を発することに注意する。
一音一音が粒子として波動として、あらゆる物質や空間に作用していると思いながら、言葉を紡ぐ。
それは相手のためというよりも、結局は自分のためでもある。
人生の中で、一番聞いている言葉は自分の言葉だからだ。
自分自身は、自分の言葉を毎日聞いているし、聞かされている。
自分の意識世界は「言葉」をピースとして構造化されていて、そこを再度作りなおすのも言葉の力だ。
言葉により意識と無意識は相互交流を起こし対話をはじめる。自分の鉱脈となる無意識は、言葉により胎動を起こし、<自分>という時空間は再度編み直されて再構造化され再組織化されていく。
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<べてるの家>は重度の精神障害の患者さんを全国から受け入れている場所。ただ、相手を管理せず、徹底的にそれぞれの個性を重視し、それぞれの生きる力を信じている。
だから、そこに集う人たちはそれぞれが自分の言葉を持ち、自分の言葉で話している。
自分は、大学生の時に、べてるの家の医師である川村敏明先生と、<非援助の援助>という禅問答のような対話をした。もう13年前のことだ。今でもその記事は医学書院のHPに残っている。
そこで学んで受け取ったことは、自分が職業的に医師として働く上で貴重な財産となっている。
川村先生は、大学生の自分の深くて見えない場所に絶妙な橋をかけた。それは自分が数年後、数十年後必要となるだろうことを見越して、静かに橋をかけたのだ。自分は医師となり人の表も裏も光も影も職業的に関わることで、川村先生が架けた橋を渡り、未知の領域にも旅をしている。
言葉は、そのときには意味がわからなくとも、深ければ深い場所に作用するほど、人の土台を構成するパーツとなる。
そのパーツは、ぎりぎりでその人を支えるパーツにもなりうるし、根元から構造を崩壊させるパーツにもなりうる。
他の人のことはともかく、自分自身が正しい言葉を使い、いい環境を作ることをこそ大切にしたい。
言葉は水や空気のように、目に見えない空間を構成するパーツにもなりうるのだから。
○第2541号 2003年6月30日
〔インタビュー〕 非援助の援助
べてるの家と「わきまえのある医療」
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