歴史を静思して目を覚ます(6)
文化・文明に資するとはどのようなことか。
「漢」の国の漢字、「呉」の国の呉服、紙の漉(す)き方、儒学・仏教の五大文化を日本に伝え、日本人に初めて文字と紙と思想を与えてくれたのが、中国人である。
古代のおそらく紀元前数百年頃、九州北部に渡来して、水稲耕作の方法と青銅器と鉄器を日本人に教え、焼き物のつくり方と、のちには金銀銅の画期的な精錬法である鉛灰吹法を教えてくれたのが、朝鮮人である。
この最初の朝鮮渡来の文化を、まったく奇妙な名称ながら、東京弥生町で最初のー個の壺が発見されたことから弥生文化と呼び、その時代を弥生時代と呼んできた。
伊勢神宮の氏神は、国学者や維新の志士たちの妄想とはあべこべに、考古学的に検証すれば、この渡来人から生まれたものと判断して間違いない。
仏教を生み、絣(かすり)の技術を日本に伝えたのが、インド人である。インドネシアのバタヴィアやフィリピンのルソンなど、東南アジアからは、呂宋(ルソン)助左衛門ら豪商の手を経て山のような先進文明が入ってきた。
お茶、孟宗竹(もうそうだけ)など、数えきれない文化・文明がアジア諸国から日本に伝わった。日本はこれらの国の人がいなければ、ほとんど何もないと言えるほど、広く深い恩恵を受けてきた。日本人は、アジア人のなかの同じ家族である。
そうした隣人に対する恩義も忘れて、歴史の無知をきわめたのが、明治維新を成し遂げた日本の支配階層であった。(中略)植民地侵略は、明治維新から始まった。その流れを最もよく示す軌跡が、朝鮮と日本の関係である。
(広瀬隆『持丸長者 国家狂乱編』ダイヤモンド社、2007年)
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