「沈黙は金」 のボブ・デイラン
2016-10-25 10:47 | カテゴリ:未分類
ボブ・デイランにノーベル文学賞授与を決定したノーベル委員会が、ボブ・デイラン本人に連絡がつかなくて、受賞を受諾してくれるのかどうか判断に苦しんでいたが、ついに連絡を取ることを諦めたということである。しかしこれまでのノーベル文学賞では、いったんノーベル文学賞授与を決定した歴史的事実は本人の受諾の如何に関わらず残るということらしい。
ボブ・デイランは実に芸術家としてのカリスマ性を維持する戦略に長けていると思う。彼の作品(作詞や作曲)が受け取る側からの主観で、あれこれと如何様にも解釈できることや、あれこれ解釈できる奇矯な「振る舞い」こそが彼の真骨頂なのであろうと思う。これまでの各種の受賞に関しては、生の声での「本心」はブラックボックスにして黙して決して語らない。まるで「芸術家はカリスマ性を高めるためにはこうあらねばならない」という見本みたいな振る舞いである。芸術家が自己の本心を生の声で語ると、えてしてこれまでの作品そのものが「浅薄」に見えてしまう。ボブ・デイランは「沈黙は金なり」ということをよくわきまえている。
今は取り巻きに箝口令を敷いているが、彼が死んだらこれまでの側近はこぞって、ノーベル賞受賞に関して「あのときボブ・デイランはこう言っていた」とか「ああ言っていた」とか「彼の本心はこうだった」とかの喧々諤々の議論ででひとしきりにぎわい、「虚像」がますます形成されていくのだろう。いまは本人も虚像の形成過程を外から楽しみたいのだろう。
最近では、黙して語らぬむっつり屋の俳優「高倉健」の場合もそうだった。彼は世間の「高倉健」という虚像に自分自身を逆に合わせていったというのが、小生にとって最も理解しやすい解釈である。
(森敏)
付記:ボブ・デイランは小生と同じ年だが、実は小生には彼の影響を受けた自覚は全くない。ビートルズなんかも、どこがいいのかわからなかった。だから以上は、実に感性の鈍い研究者のたわごとです。でも一言書いておきたかった感想です。さきにピカソについても述べたことがあります。
2010/07/18 : ピカソの秘密
追記1:映画監督でタレントの北野武さんがフランス政府からレジオンドヌール勲章オフィシエを授与され、パリで叙勲式に出席している。
「受賞で力をもらった。今後新しいジャンルに挑戦したい」(東京新聞)
「恥ずかしいくらい。基本はコメデイアン。いい賞をいただければ、それだけ落差で笑いが生まれる」(朝日新聞)
との発言が紹介されている。
反骨の喜劇俳優チャップリンは、素直にいろいろな賞をもらっているようだ。
追記2:以下の顛末です。
ボブ・ディラン氏、ノーベル賞受け入れる意向
2016年10月29日 08時06分
ノーベル財団は28日、今年のノーベル文学賞の受賞者に選ばれたものの、沈黙を続けてきた米国の歌手ボブ・ディラン氏(75)が受賞を受け入れる意向を示した、と発表した。
財団のホームぺージによると、ディラン氏は今週、文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーに電話し「栄誉にとても感謝する」と伝えた。
12月に開かれる授賞式にディラン氏が出席するかどうかは決まっていないという。
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