200円だったので送るものを入れる。
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セラフィールドという名の核燃料再処理工場群は、イギリスの北西部に位置します。
1957年に世界初の原子炉重大事故を起こし、周囲の広大な陸地と海洋を放射性物質で汚染しました。被爆による健康被害も深刻です。詳しくは、原子力資料情報室さんの下記リンクをご覧ください。
事故で放射性物質が放出されても避難命令を出さず、白血病が増加している事実を30年間も隠ぺいするなど、英国政府の悪質ぶりが話題になりました。
元々は核兵器の材料であるプルトニウムを生産するのが目的の施設でした。日本との関係が深く、日本国内の商業用原発から発生した使用済み核燃料の処理をセラフィールドで実施していました。
セラフィールド核施設は1956年に運転開始し、2003年に運転終了しました。除染・廃炉・廃棄物処理といった後始末にかかる費用は530億ポンドになる予定です。1ポンド=181円とすると、9兆5400億円になります。また、後始末の完了予定は2120年とのことです。原発の厄介な問題に悩まされているのは日本と同じですね。
イギリスのBBCが2015年3月4日付で関連記事を書いているので、以下にリンクを貼ります。
「Sellafield clean-up costs rise to £53bn, says NAO」(セラフィールドの後始末費用が530億ポンドに跳ね上がる:英国会計検査院)
上記リンク英文記事の一部を以下に引用します。( )内は私の日本語訳です。
引用始め
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「The cost of decommissioning and cleaning up the Sellafield nuclear site in Cumbria has increased by £5bn to £53bn, says the National Audit Office.」
(カンブリアにあるセラフィールド核施設の廃棄・除染費用が50億ポンド増えて530億ポンドになった、と英国会計検査院が発表した。)
「Margaret Hodge MP, chair of the Public Accounts Committee (PAC) which commissioned the report, said the cost hike was “astonishing.”」
(その報告書を作成させた決算委員会で委員長を務めるMargaret Hodge MPは、コストの上昇は凄まじいと述べた。)
「A year ago, the Nuclear Decommissioning Authority, the body responsible for the clean up, said the cost would be £48bn.」
(廃棄・除染に責任を持っている原子力廃止措置機関は一年前、費用は480億ポンドになるだろうと言っていた。)
「The work is also behind schedule, the report said.」
(廃炉作業も予定より遅れていると報告された。)
「The Authority gave the £9bn Sellafield clean-up contract to Nuclear Management Partners (NMP), but following criticism of NMP’s competence, decided in January to cancel the contract.」
(原子力廃止措置機関は、90億ポンドのセラフィールド廃炉作業契約をNMPと結んだ。しかし、NMPの能力に対して批判が高まり、1月に契約を解除することを決めた。)
「”It is galling that breaking the contract will cost the public purse £430,000,” said Mrs Hodge, whose committee recommended the Authority consider doing this a year ago.」
(「契約解除により43万ポンドの公金を支出しなければならないなんて腹立たしいです」、とHodgeさんは述べた。彼女の決算委員会は一年前、原子力廃止措置機関に対して契約解除を勧めている。)
「The total cost of cleaning up the UK’s 17 nuclear sites is “around £70bn”, the NAO says.」
(イギリスに17か所ある原子力発電施設を廃棄・除染するには、全部で約700億ポンドかかる、と英国会計検査院は述べた。)
「Sellafield is the “UK’s largest and most hazardous nuclear site”, including two nuclear fuel reprocessing plants, waste management and storage plants, as well as storage ponds and silos containing waste from the UK’s first nuclear plants.」
(セラフィールドは、イギリス最大で最も危険な核施設だ。そこには2つの核燃料再処理工場、廃棄物管理貯蔵施設、さらには、イギリス初の原発から出た廃棄物を保管するプールや地下貯蔵庫がある。)
「The Authority aims to clear the site by 2120.」
(原子力廃止措置機関は2120年までにセラフィールドの廃炉・除染作業を終わらせる予定だ。)
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引用終わり
このような巨大な負の遺産を抱えるイギリスは原発推進に消極的だと思っていましたが、原発を新設すると最近聞き、少なからず驚きました。日立製作所の英国子会社が、英国政府から原発の建設・運営を受託したのです。国際協力銀行(JBIC)や日本政策投資銀行が投融資するのですが、総額1兆円規模になる公算が大きいです。日本人の税金がまたもや無駄遣いされるのです。
今後、運用開始されて以降に事故が起こった場合の損害賠償や、廃炉にかかる費用も日本人の税金から捻出されるのでしょうか?この件に限らず、日本政府は、経団連に属する大会社を支援するためならば躊躇せずに大盤振る舞いします。選挙の時の応援や、企業献金が目当てなのでしょう。
その一方で、日本国民の99%に対してはとても冷たい仕打ちをしています。生活保護受給者を目の敵にし、年金をカットし、医療機関への支払い負担を増やし、教育ローンで若者を苦しめ、不安定雇用を助長し、格差の拡大と社会の不安定化は留まるところを知りません。福島原発事故によって避難した人たちが、高汚染地帯へ帰還せざるを得ないように支援を打ち切るなど、冷酷さを隠そうともしません。
このままいけば、日本は、ほとんどの人間がまともに暮らせない社会になってしまいます。自民党政権の暴走を止めるために有権者がすべきことは明らかです。
毎日新聞
なるほドリ 2018年で「北海道」と命名されて150年目になるんだってね。
記者 幕末にロシアの日本進出が進み、国境問題への危機感が高まりました。それまでは国境があいまいだったからです。江戸幕府や明治政府は当時、北海道を蝦夷(えぞ)地と呼んでいました。蝦夷とは中央政権から見て異民族という意味です。日本の領土として明確にするため、名前を改めることになり、1869(明治2)年8月15日の太政官布告で、蝦夷地を北海道とすることが周知されました。
Q どうして「北海道」になったの?
A 明治政府の官僚でもあった探検家の松浦武四郎が「北加伊道」という名前を提案しました。松浦は1863(文久3)年にまとめた「天塩日誌」で、「アイヌ民族の長老から『カイ』は『アイヌ』を指すと聞いた」などと記しており、「北加伊道」に「アイヌ民族が暮らす北の土地」という意味を込めたと言われています。ちなみに、「道」は律令国家で全国が東海道や南海道など七道に分けられていたことにならったものです。提案後すぐに、政府は「加伊」を「海」に改め、北海道としました。
Q へー、そんな意味があったんだね。ところで松浦武四郎ってどんな人なの?
A 1818(文化15)年に三重県で生まれ、10代のころから日本全国を旅していたそうです。ロシアの脅威を知り、26歳のときに当時はまだあまり知られていなかった蝦夷地を調べることを決意します。58(安政5)年までに計6回調査し、アイヌの人々とも親交を深めました。69(明治2)年に開拓使が設置され、開拓の現地責任者である開拓判官に任命されました。しかし、アイヌ民族への差別や暴力をなくしたいという松浦の訴えが聞き入れられず、翌年に辞職してしまいました。2018年には生誕200年を迎えます。
Q 北海道という名前が決まった時、アイヌ民族の反発はなかったの?
A 政府はアイヌ民族にも戸籍を作り、日本国民とした一方、旧土人として差別しました。開拓者に漁場や農地などを独占させたり、優先的に払い下げたりして、アイヌ民族を迫害しましたが、アイヌ側の当時の記録が見つかっておらず、詳しいことは分かっていません。
Q そうなんだ。150年前の北海道ってどんなところだったんだろうね。
A 明治以前の北海道の産業は漁業が中心だったため、内陸部は原始林に覆われていました。当初、裁判所などの行政機関は箱館(函館)に置かれていましたが、ロシアへの対応などのため、札幌を開拓の拠点とすることになりました。街の整備は1871(明治4)年に始まり、現在のような碁盤の目の道路や偕楽園、最初の官立学校である資生館などが作られました。
Q 一から街を作ったんだね。150年目を記念する事業もあるんだってね?
A 道が「150年道民検討会議」を設置して事業展開を考えており、18年夏ごろに記念セレモニーを行う予定です。今はPR用ロゴマークの選定を行っており、近く三つの最終候補からインターネット投票と審査委員の投票結果で決定します。また、道庁赤れんが庁舎も改修され、館内には松浦武四郎を紹介する展示も企画されています。<回答・今井美津子>
ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20161218/k00/00e/040/099000c#csidx62a69d90c9ddad986798b89d513c9d2
Copyright 毎日新聞
昨日、「北方領土」に関する記事の中にアイヌ民族で唯一国会議員になった萱野茂さんの言葉が出てきた。「北方領土はアイヌの国だった。持ち主であったアイヌの頭越しに、おれのだ、おれのだと引っ張り合いしているように聞こえるわけです」…択捉島の地図を示し、ここには314のアイヌ語地名が載っています、四島の島名もすべてアイヌ語、アイヌ民族の先祖が住んでいたところですと説いた萱野さんは10年前に亡くなられたが、福島原発事故が起きる5年前に「遺言」としてこんな言葉を残されている。
「原発は天に向かって唾を吐くようなことだ。吐いた唾は必ず、自分の顔に落ちてくる。」
原発事故が起きても尚、日本は天に向かって唾を吐き続けている。
◆領土交渉、アイヌ民族の問い 編集委員・松下秀雄
(2016年12月18日 朝日新聞)から抜粋
10年前に亡くなった萱野茂さんは、アイヌ民族でただ一人、国会議員を務めた人だ。参議院の会議録を開くと、日本とロシアの北方領土交渉をこう評していた。
「北方領土はアイヌの国だった。持ち主であったアイヌの頭越しに、おれのだ、おれのだと引っ張り合いしているように聞こえるわけです」
萱野さんは択捉島の地図を示し、ここには314のアイヌ語地名が載っています、四島の島名もすべてアイヌ語、アイヌ民族の先祖が住んでいたところですと説いた。
*
日ロ両国は、アイヌ民族の地に国境線を引いて囲い込んだ。歴史を調べると、彼らがなめた辛酸が浮かぶ。たとえば1884年、日本は北千島の住民を色丹に強制移住させる。生きる糧を失い、病に苦しみ、大半が命を落とす。
重い民族の原体験。私がその立場なら、日本政府や「和人」側が島々を「日本固有の領土」という時、心穏やかにいられるだろうか?
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12711711.html?rm=150
◆萱野茂さん「原発は天に向かって唾を吐くようなことだ」
(2011年6月21日 風の便り)から抜粋
<脱原発を誓う:萱野茂さん追悼メッセージ 辻信一さん>
萱野さんはチェルブイリ事故の後、北欧先住民であるサーミの地を訪ねた時のことを話した。大地の上にあるすべてのものを同胞と見なす先住民族は、「大地を離れては暮らしていけない」ものであること、だからこそ、大地が汚染され、生態系が破壊された時に、最も大きな犠牲を強いられてきたのだということを、ぼくたちに思い出させてくれたのだった。
彼はこう言った。
「原発は天に向かって唾を吐くようなことだ。吐いた唾は必ず、自分の顔に落ちてくる。」今日、私はこれを遺言のつもりで言うんです、と彼は会議の前にぼくに漏らしたものだ。
また、講演の中で、彼はこんなことも言っていた。いくら悲惨な事故が起こっても懲りずに原発をつくり続けている人たちを見ていると、神様は、あまりにもおごり高ぶって、他の生きものたちのことを何一つ考えなくなった人間を滅ぼすためにこそ、ウランのような恐ろしいものをこの世に降ろされたのではないか、と思わずにいられない。そんな私の不安が当たっていなければいいのだが、と。