« 2013年4 月 | メイン | 2013年6 月 »
アレクサンダー・ガヴリリュク(Alexander Gavrylyuk, 1984年8月 - )は、ウクライナのピアニスト。苗字はガブリリュクとも記される。
ハルキウ州ハルキウに生まれる。両親はフォーク音楽を演奏し、妹もピアニストであることから、音楽家の家庭で育ったようだ。7歳でピアノを始める。わずか12歳でセニガッリア市国際ピアノ・コンクール(イタリア)の優勝者となる。14歳の頃(1998年)、師事していたヴィクトル・マカロフ、他4人の生徒と共に、オーストラリアのシドニーへ移り、オーストラリア音楽学校の奨学生となる。翌年、ホロヴィッツ記念国際ピアノコンクール(キエフ、ウクライナ)、オーストラリア・ピアノコンクールに出場し、それぞれ第1位となった。さらに2000年11月には、日本で行われた、第4回浜松国際ピアノコンクールでも第1位に輝き、その際、審査委員長の中村紘子は「20世紀後半最高の16歳」とまで評している。その後、2001年日本及びアジア各国へ来日した。後にこの日本でのライブ録音が、ピアニズム、ムーンライトというCDで発売される。また、2005年4月には、アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールで第1位、金賞、ベストコンチェルト賞を受賞する。日本へは近年毎年のように来日し、他各国でも精力的に演奏活動を行っている。
ガヴリリュクの演奏は、超絶技巧が特徴であるが、その中に、技巧だけでは表現できない温かみやロマン性が現れ、彼の持つピアニズムを垣間見ることが出来る。レパートリーは広く、古典派のハイドン、ベートーヴェンから、ロマン派のブラームス、ショパン、そして地元ロシアのラフマニノフ、プロコフィエフ、スクリャービンなどを演奏する事が多い。
人は変えられない。賛成の人を反対には変えられない。反対の人を賛成には変えられない。それぞれに信念がある。信念のない無責任な人、無責任であることの自覚がない無責任は、無関心よりたちが悪く、信念で対立している人たちの対立をより増長させることで、他者をコントロールしていると錯覚し快感を得ている。そのような人も変えられない。聞きかじったことを検証もせずに平気で吹聴する人も、匿名のにわか批評家も、不安で眠れない人も、楽観的な人も、思慮深い人も、すべての人は、自分らしくそのように生きているのだから、他人が変えることなど不可能。ましてや私が変えることなど、できるわけもない。
他人を変えようなどという傲慢さが、ストレスになっていたことは明白である。
テーマパーク”世界公園“に所属するダンサーのタオ(チャオ・タオ)は、同僚たちから姐さんと慕われている26歳。公園の守衛主任であるタイシェン(チェン・タイシェン)は彼女の恋人だが、タオの元恋人リャンズー(リャン・チントン)と会って嫉妬心を抱いたりなど、関係はどこか不安定。そんなある時、タイシェンは同郷の先輩から偽の身分証を作るように頼まれ、また、借金を作って逃げた男のもとに、その姉のチュンを連れて行くように命令される。チュンに心惹かれるタイシェンだが、パリに住む夫がいる彼女は彼の誘いをかわした。やがてホテルに泊まったタオとタイシェンは、その夜初めて結ばれる。一方、タオの後輩ダンサーであるウェイ(ジン・ジュエ)は、恋人ニュウ(チャン・チョンウェイ)の嫉妬深さに堪忍袋の緒が切れ、別れを宣言。するとニュウは発作的に自分のジャケットに火をつけてしまう。まもなく2人は結婚を決意した。ある日の散歩中、タオはダンサーのヨウヨウ(シャン・ワン)と親会社の重役の不倫現場を目撃。そのあとヨウヨウは新しい団長に抜擢された。タオはタイシェンに自分たちの結婚の話を持ち掛けてみるが、彼は何も答えない。ウェイとニュウの結婚後、タオは新婚旅行中のウェイの新居に寝泊りしていた。そこを訪れるタイシェン。明け方、男女2人が一酸化炭素中毒で倒れていると近所の住人たちが騒ぐ。中庭に運びだされたタオとタイシェンの上に、今年の初雪がちらちらと降り始めるのだった。
かなり勉強になる。カメラワークが凄い。