テレビや新聞の言うことを真に受けることは
幸福でもある。
スポンサーつきの報道がどういうものになるのか、
考える機会さえ持たない。
何度も何度も、あちら側に都合のいいことを
繰り返されて、
それを自分の考えだと思い込む。
洗脳による視野狭窄と偏見と固定観念。
これから逃れる術はないほど、
完璧なる洗脳。
洗脳による偏見と固定観念が
新たな理解を妨げる。
視野狭窄が死ぬまで続く。
もちろん、これまで自分なりに培ってきたつもりの
「与えられた偏見と固定観念」を
簡単に捨てることはできない。
自分を否定することにつながるから。
たとえば、
坂本龍馬に心酔し、司馬の著書を
コレクションしている人が、
それまで、さんざん、坂本龍馬を司馬史観に
はまりこんで他人に龍馬の「偉業」を
吹聴してきた人が、
あっさりと明治維新の本質を認めることが
できるだろうか。
知性の高低とは、この、自分を否定してでも
事実の多層性をつかもうとする探究心による。
これが可能な人は、それほど多くはない。
そしてそこに、あちら側が付け入る隙がある。
集団同調圧力・先入観の持たせ方・固定観念
一律の価値観などなどを
マスコミを使って統一していけば、支配は楽になる。
お花畑の住人は、もう「なぜ」と問うことを
完全に放棄した。
そのおかげで、楽しい日々が過ごせる。
もし、「なぜ」と問うことを始めると
それは自己否定につながっていく。
これはとうてい受け入れられることではない。
知性の高低は、問いかける能力の高低でもある。
たとえば、
なんでも答える神様がいるとする。
その神様にひとつだけ質問できるとする。
4歳児の質問と、あなたの質問は
まったく違うものになるだろう。
それが、「問いかける」力。
お花畑の住人は、この問いかけることを
放棄してしまった。
そして、オウムのように中身を考えず
鵜呑みにして、受け売りを繰り返す。
そして、自分の「鵜呑み・受け売り」の暗記物を
正しい知識だと信じ込み、
それ以外は排除する。
しかも、「自分は賢くてなんでも知っている」
とまで信じ込んで、他者を排除する。
オウムは自分の言っていることを自覚せず
しゃべると褒められるから、しゃべるのみ。
めでたい。
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