田中正造没百年で特別展示会
公害の原点ともいわれる足尾銅山の鉱毒問題の解決に生涯をささげた田中正造の没後100年を受け、鉱毒問題の悲惨さを伝える作品や資料などの展示会が太田市で開かれています。
田中正造は明治時代に群馬県などを流れる渡良瀬川の流域に深刻な公害を引き起こした足尾銅山の鉱毒問題の解決に生涯をかけて取り組み、大正2年に亡くなりました。太田市は「原爆の図」の作者として知られる画家の丸木位里、俊夫妻が鉱毒に苦しむ住民の姿を描いた作品を所蔵していて、ことしが田中正造の没後100年になることから初めて作品を公開しました。会場の太田市学習文化センターには縦1.8メートル、横7.2メートルの大きさがある丸木夫妻の絵6点などが展示され、農民が怒りの声を上げて抗議している姿や人や動物が死んでいく様子、さらに田中正造が必死の形相で直訴しようとしている情景などが墨で描かれ、鉱毒が地域に与えた苦しみの深さを表しています。
会場を訪れた太田市の70代の女性は、「足尾銅山の被害については知っていましたが、実際に当時の様子を描いた作品などを見て、鉱毒の悲惨さを感じました」と話していました。
この展示会は、12月22日まで開かれています。
12月17日 19時35分
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