余録:ペリー艦隊は1854年、日米和親条約を結んだ後…
毎日新聞 2014年02月02日 00時05分(最終更新 02月02日 00時06分)
ペリー艦隊は1854年、日米和親条約を結んだ後、静岡県下田市に滞在する。食料調達のため小笠原諸島(東京都小笠原村)へ寄ったマセドニアン号は70頭のアオウミガメを捕って入港し、幕府の奉行にもカメ料理を振る舞った▲下田市の了仙寺には艦隊員が大きなカメをさばく様子を描いた絵巻物が残り、血を抜いて肉を砂糖で煮込み、ペリー提督にも出したとの記述もある。古くから煮物や刺し身として食されてきた小笠原のアオウミガメである▲その産卵が史上最多を更新中だ。NPO法人エバーラスティング・ネイチャー(ELNA)の調査によると、父島列島でアオウミガメが産卵のために砂浜を掘って作った巣の数は昨年1982カ所に上り、調査を始めた1979年の16倍に達した。記録更新には小笠原の歴史が関係している▲アオウミガメは海を回遊しながら成長し、約40年後に生まれた場所に戻って卵を産む。さらに約80年の寿命が尽きるまで4年に1度の割合で産卵する。米国の占領下だった46〜68年にカメ漁が廃れ、その間に生まれたカメたちが80年代後半以降続々と里帰りしているというのだ▲一つの巣に産みつけられる卵は約100個。夏から秋にかけ、ふ化したカメたちは砂からはい出し、海へ去っていく。ELNAの分析では昨年ざっと8万頭が父島列島から海に入り、生き残って40年後に戻ってくるのは160頭ほどだという▲8万頭の中にはペリーに平らげられたカメの子孫もいただろうか。今は絶滅危惧種に指定されるアオウミガメが、40年後もその先も帰ってこられる砂浜を残しておきたい小笠原の島々だ。
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