飯館村民「もう研究材料に売り飛ばされた人間だから、
モルモットでしょ」経産省の人、黙ってた、下向いて
(記事概略)
『帰りたい 帰れない 帰らない —— 飯舘村民の苦悩』から
★出稼ぎして苦労重ね、やっと普通に生活
できるようになったと思ったら原発ですべて駄目に
★村長は「除染して、2年で帰村」方針を推し進める。
住民は「いやでも(元の土地に)戻されるのではないか」
という不安に苛まれている。
★「帰還困難区域」とされた飯舘村長泥地区
バリケードで封鎖された。毎時6.21μSv/h
★事故当時、ジャーナリストや今中先生は、
村長に「避難した方がいい」と。
村長は「マスコミには言わないでくれ」って。
知っていたはずなのに、住民避難させず。
★飯館村で。原発事故当時の様子
・大気が赤錆みたいな色をしていましたよ。
そして、金属の焼けた臭い。
・3/14、家で3号機爆発をテレビで見た。
ドーンと2回、直に音が聞こえた。
かなり大きい音。
それが3/15朝には飯舘に”黒い雪”となり
落ちてきた。薄っすら黒い色。
★家の中で4〜6μSv/h、家の周り7μSv/hあった。
2011.6に避難。
★東電からは仮払金(105万円)だけ。
後は皆さんからもらった義捐金。
月々の慰謝料10万円には、同意してない。
★東電は「帰宅困難区域をどんどんどんどん
小さくしたんで、4千500億円ものお金が浮きました」
って言っているそうですよ。
それで、「ちょっとくらいの被ばくは、我慢しろ」と。
★山下教授の罪(事故当時、安全だから逃げなくてよいと)
山下さんの影響が大きかった。傷害罪ですよ。
「飯舘住民は、あの高放射線のところで、
研究材料にされたんだ」って。
そう言ってますよ。
★経済産業省の人に聞いてみた。
「もう研究材料に売り飛ばされた人間だから、
モルモットでしょ」
経産省の人、黙ってた、下向いて
★飯館村だけで、除染に3,224億円
・それだけお金を使って除染しても、効果はないし、
ほとんど、ゼネコンへ
・飯舘は1700戸だから、1戸当たり5千万円、
『新天地』で代替地用意するのが、よほど現実的
★帰宅困難区域を出入制限するゲート
・朝7時から18時まで、作業員が交代でゲートの開閉に従事
・線量は、アスファルト上で6〜9μSv/h、
側溝では30〜100μSv/h
★小宮地区で行わている除染の実証実験
・実験なのに、10ヘクタールと大規模
・実証実験で出た放射性廃棄物が、
飯舘村の一般ごみの処理施設に、大量に運び込まれ
山のように積まれている。仮仮置き場だという。
※小宮地区・・・居住制限地域
(以下本文)
帰りたい 帰れない 帰らない —— 飯舘村民の苦悩
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-66.html より抜粋引用
〔「帰還困難区域」とされた飯舘村長泥地区は、7月17日、バリケードで封鎖された。長泥地区で除染作業を行う奥村組の作業員が、ゲート開閉のために配置されていた。線量計は、毎時6.21マイクロシーベルトを示していた〕
原発事故から1年半を迎える飯舘村の現状をレポートする。
飯舘村小宮地区から伊達市内の仮設住宅に避難している安齋徹さん(65)に、村を案内していただきながら、お話をうかがった。
飯舘村を扱った映像やレポートは多々ある。が、安齋さんは言う。「取材はたくさん来るけど、表面しか捉えていない。『飯舘村はきれいで、だけどそこに住めなくなって、涙を流していました』——こういう話はもういいの。住民の心の中を、先の見えない不安感を取材して下さい」
国と村は、避難区域の再編を進めている。そして、菅野村長は、「除染して、2年で帰村する」という方針を推し進めている。しかし、少なからぬ住民は、「戻れるものなら戻りたい。だけど戻れるような状態じゃない。それなのに、いやでも戻されるのではないか。仮設住宅も追い出され、賠償も打ち切られるのではないか」。そういう不安に苛まれている。
安齋さんは、歯に衣着せぬ言葉で国や東電に怒りをぶつけ、また、返す刀で村長を批判する。もちろん安齋さんの意見・見方がすべてではない。住民の意見は様々に分かれている。しかし、安齋さんの言葉を通して、闘いたいのになかなか闘いにならないもどかしい思いが伝わってくる。そうした中でも、新しい方向をなんとか切り開こうと格闘する村民たちの姿を感じ取ることができる。
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出稼ぎの村で
〔写真上は、小宮地区にある安齋さんの自宅。写真下は、伊達市内の仮設住宅で話をする安齋さん〕
若く見られるけど、22年(1947)生まれですよ。親が飯舘生まれで、東京で養子に入って、戦後、飯舘に戻ってきました。開拓者ですね。 自分はこっちで生まれたの。兄さんは東京で。あの頃は貧しかった。食べ物も満足に確保できないような状態でした。
親は林業、山仕事、炭焼き。炭があまり売れなくなって、それから出稼ぎ。親が出稼ぎに行き出したのは、自分が中学校を終わってからかな。山仕事があんまり芳しくなくなって、出稼ぎの方がお金取れるからって。そして、おやじが出稼ぎをやめて、今度は自分が出た。自分も出稼ぎで、だいぶ家を開けていましたよ。
飯舘とかでは、みんなそうですよ。飯舘でも一時期、出稼ぎに出る人がかなり多かったです。
◇独り身
でも出稼ぎに行ってたら、家も自分も駄目になるということで、それで、葉タバコの生産をやったんですよ。
ところが、ちょうどその頃、葉タバコをやる農家が増えて、専売公社が減らそうとした時期。時期が悪かった。専売公社から、「金を払うからやめて下さい」って言われてやめたの。
それから、また出稼ぎしたり、重機に乗ったり。東京や伊豆、伊豆の方が多かったかな。宅地造成とか道路工事とか。それが終わって、原町の建設会社に行ったり。
出稼ぎしているときは、いやもう出っ放しですよ。盆正月に帰るぐらい。そうやって出ていたんで、それが祟っていまも独り身。そういう人、多いじゃないかな。自分だけじゃないですよ。
◇トマトで金賞
で、タバコやめてから、野菜作りをやったんですよ。飯舘で、野菜専門で食べるって言ったら、かなり厳しいですよ。
東京の方に出してみるけど、規格が厳しくて。トマトとか大根とか作ったんですけど、他所からドンとくると、もう飯舘村のは買い叩かれました。
大阪の花博の頃はトマトを作っていたの。低農薬・無農薬で。花博に出して、何か知らないけど、協会から金賞をもらって。でも2〜3年作ってやめました。
評価されても、商品としては行かないんです。病気にもなるし、気候変動もあるし。トマトは作業は一番楽でしたよ。でも病気に弱くてね。
〔トマトを栽培していたハウス。奥行きが74メートルあるという。台風でビニールが飛んだら一気に雑草が生い茂ってしまった。手前の稲刈り用コンバインも汚染で使えないし売ることもできない。安齋さんは、「悲しいねえ」という言葉を何度も繰り返した〕
◇全部、ぱあ
それもやめて、また、外の仕事に出ていたんだけど、8年ぐらい前かな、国の助成でグリーンツーリズムということで、その講習を受けて、7年半か8年近くやっていました。
それから、一昨年、水田も始めました。3町歩ぐらいつくると、自分ひとりで生活するには間に合うから。水田やって、キノコ採ったり、山菜とったりして。お金なくても、そうやって暮らしていけるから。
そうやっていたところに、原発。それで全部、ぱあ。
赤錆色の大気
去年の3月11日は、山の高いところにいたんですけど、これだけの地震が来たら、もうこれは完全に原発が事故をおこすと思いました。そう。すぐに原発事故に結びつきました。
だって、東電というのは、佐藤栄佐久さん(1988年−2006年福島県知事)の頃から、≪嘘をつく、隠す、脅す≫というのを繰り返していましたから。自分たちは、前から言ってましたよ、「東電は、いずれ大きな事故を起こすよ」って。
家に帰って、すぐに水を確保しました。妹と猫と自分のと。
そして次の日、ドン。水素爆発。このときに一時的でもいいから、緊急避難させてくれていたら、これほど被ばくをしなくて済んだのに。
◇避難者に炊き出し
経済産業省が、ずっと、「飯舘は安全だから避難しなくていい」と言ってました。しかし、それに輪をかけて、村長が、住民を飯舘に止めておいた。そこでまた被ばくをしているわけです。村長の悪口を言うんじゃないけど。
小高や原町の人も、飯舘に避難してきました。それで自分らが炊き出しをしていたんです。放射能を浴びながら。
だけど、村長は、線量が高いのを分かっていたはずですよ。村長は、飯舘に入ってきたジャーナリストや今中先生(京大助教)から、数字を聞いてたわけだから。今中先生は、村長に「避難した方がいい」という話をしたけど、村長は「マスコミには言わないでくれ」って、押さえようとしたんですよ。
本来なら、避難してきた人に、「飯舘は線量が高いから、別のところに行って下さい」と言うでしょう。
避難の人たちも、事態がだんだんわかってきたらびっくりして、違うところに避難していきました。2回、3回、4回と避難場所を転々とするようになってしまったのもこういう事情なのです。
◇焼けた金属臭・黒い雪
自分の家は、飯舘村でもちょっと標高の高いところなんですよ。あのときは風がなくて、家から見ると、もう雲海みたいになって、大気が赤錆みたいな色をしていましたよ。そして、金属の焼けた臭いがして。
14日は家にいて3号機が爆発したのをテレビで見ていたんですけど、直に音が聞こえましたよ。ドーンと2回。かなり大きい音でしたよ。
それが、15日の朝には、飯舘に黒い雪となって落ち着てきました。薄っすら黒い色。自分だけじゃない、飯舘で気がついている人は見ていますよ。
だから、あのとき避難させていただければ、何も3号機の爆発の影響を体に受けなくても済んだわけです。
〔安齋さんの家の前は緩やかな谷が広がっている。あの日、この谷が錆色の雲海で埋まった。この1年半の流れを知らないと、「美しい里山の風景」に見えてしまうだろう〕
◇体調にも異変が
自分は、3月29日から、相馬の方で、遺体捜索に行きました。2カ月間。
それで、朝6時から夕方6時まで家にいなかったから、ずっと飯舘にいた人よりは被ばくしていないかもしれない。24時間のうち、12時間は家にいなかったから。
実際、仕事にいって、帰ってくると腹の調子がいいの。で、一晩、家に泊まると、朝はもう腹が下る。また、向こうで仕事していると落ち着くの。その繰り返し。家の中で、4〜6マイクロシーベルト(毎時)、家の周りでは7マイクロシーベルト(毎時)ありましたから。
5月末で遺体捜索の仕事が終わって、6月26日にようやく自治研修センター(福島市内)に避難しました。
◇山下教授の罪
飯舘村は、まとまって避難ということはしなかったですね。その頃、まだまだ飯舘に残っている人はいましたよ。
それには、山下さん(現・福島医大副学長)の影響もありますよ。「100ミリシーベルトまで大丈夫ですよ」と宣伝していったわけですから。あのとき、そういう先生が、「飯舘は危険だから避難しなさい」といってくれていたら、飯舘住民は、ほとんど避難しましたよ。
「100ミリシーベルトまで大丈夫。戸を開けていいし、洗濯物も外に干していい。子どもを外で遊ばしてもいい」って。そのころ、本当に、子どもは外で遊んでいたんですよ。
だから、自分の口から言わせると、「自分たちを殺すのか」って。傷害罪ですよ。
山下さんの影響が大きかったですよ。
国の方針として、「飯舘村は避難させない」というのがあったということでしょう。最終的には、IAEAから「ダメだ」と言われて、計画的避難区域になったけど、遅いです。
だから、自分たちがいま話しているのは、「飯舘住民は、あの高放射線のところで、研究材料にされたんだ」って。そう言ってますよ。
頭から塩かぶせてやっから
〔伊達市伏黒のグラウンドに建てられた仮設住宅。以前に本サイトで紹介した長谷川健一さんもここで避難生活を送る〕
仮設に入ったのは、昨年の8月1日から。ここは、飯舘の13行政区(全部で20行政区)の人が、最後にバラバラと集まってきたところ。
家賃はありません。電気・ガス・水道は自分持ちです。
ただ、寝れない。寝れないのは、夜、パトロールやっていて、日中に寝ようとして、寝られなかった。それがずっと続いて。ちょっと寝て、目が覚めて、という感じ。それで、肝臓が要注意。酒も飲まないのに。たぶんストレスですよ。それに心臓がちょっと肥大。
パトロールは、車で自分の地区を回ります。1晩で2回、2人組で。1回まわるのに2時間半。それに、往復で各1時間。結局、7時間運転することになる。だから結構、へとへとになる。それを一日おき。30日あれば15日。
パトロールに1晩出て7千円。あと通勤費、あと自分は車をだしてますから、それが2千円。それが主な収入です。
◇飯舘住民は人間ですか?
自分は、東電の慰謝料(月10万円)の同意書に、ハンコ押してないです。東電からは仮払金(105万円)だけ。後は皆さんからもらった義捐金。
それで役場から電話きたの。「安齋さん、(慰謝料の)同意書にハンコつきましたか?」。「何、語ってんの」って。「『賠償は個人でやれ』っていう役場の話だったのに、なんで役場が電話よこすの」。30分ぐらい話をしたかな。「貴重な話、ありがとうございます」だって。
東電の本店からも3回ぐらい電話きたよ。「同意書にハンコ押して下さい」。コテンコテンにやってやった。「東電は、頭からウソをついているんだから、ハンコつかない」と。「では、伺っていいですか」って、「来んなら来たらいいよ。頭から塩かぶせてやっから」って。村民の怒りを代弁しているから。
で、東電の人が3人きたの。「ハンコをついてほしい」と。「あんたら、全然、反省してないだろ」って。「すいません。すいません」て言うけど、「すいません」って言うだけでいいわけだから、あの人たちは。「今、ミサイル持ってたら、東電に全部、ぶち込んでやる」って。暴力はいけないけど、住民は、それくらい怒っているんだって。
この間は、経産省の人にも、自分から訊いてみたの。
「飯舘の人間は日本人ですか?違いますよね。人間でもないですよね。自分たちは、経産省が、『飯舘は安全だから避難しなくていい』って、それでずっといて。自分たちは、もう研究材料に売り飛ばされた人間だから、モルモットでしょ。人間じゃないでしょ」って。
経産省の人、黙ってた、下向いて。「そう言われてもしょうがない」という自覚があるんでしょう。
・・・・
◇3,224億円
〔小宮地区で行わている除染の実証実験。建設会社のフジタが受注している。実証実験というが10ヘクタールと大規模〕
それから、除染に3,224億円ですよ。飯舘だけで。
それだけお金を使って除染しても、効果はないし、ほとんどゼネコンに行ってしまう。ゼネコンも、適当にやってますよ。
なら、飯舘は1700戸だから、1戸当たり5千万円になるけど、たとえば「国で代替地を見つけるから、その『新天地』で30年なら30年くらいやって下さい」という方がよっぽど現実的。
自分たちは、お金ほしいんでもなんでもない。除染だなんだとお金を垂れ流すくらいなら、その金で代替地をピチッとやってもらった方がいいと言っているのですよ。
飯舘には、1週間に1回、2回帰って、家の片づけするとか、それぐらいはできるわけだから。
そう、こういう意見はたくさんあるんだけれども、取り上げてくれない。村長は。ただただ「村に帰す」というだけ。
◇新天地の青写真
その「新天地」については、糸長先生らの提案(※)で、青写真もできていますよ。
例えば、100軒がまとまらなくてもいい。10軒でも、20軒でもまとまってそこに行きましょうという話になれば、ここに家を建てて、緑のある住宅にして、その辺に農地をつくってもらって。お年寄りには、そこで野菜を作ったり、田圃を作ったりしてもらって、そこで住民のつながりもできる。
それで、少しでもお金になったら、喜ぶよ。そういう風にやりたいの、本当は。新天地を求めて。
お金じゃなくて、農家の人は、土を触りたいの。小さい子どもが、外に出たときに、走り回って、転んでってするように、それと同じですよ。
だから、3200億円を除染にかけるんじゃなくて、「30年なら30年帰れないけど、飯館の住民の皆さん、 これで『新天地』を作って下さい」ってやれば、それでかなり精神的苦痛は取れますよ。
・・・・
区域再編・賠償・仮置き場
〔飯舘村は、昨年4月に計画的避難区域とされたが、この7月に、「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3区分に再編された〕
〔作業員の方は、福島市内から通いで、朝7時から18時まで、交代でゲートの開閉に従事しているとのこと。線量は、アスファルト上で6〜9マイクロシーベルト、側溝では30〜100マイクロシーベルトという作業環境だ〕
・・・・
〔除染の実証実験で出た放射性廃棄物がどんどん運び込まれ、うずたかく積まれている。ここは小宮地区にある飯舘村の一般ごみの処理施設。ただしここは仮置き場ではない。看板にあるように「仮仮置き場」〕
(抜粋引用終了)
土壌汚染「チェルノブイリ強制移住」以上 京大今中助教試算
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/6521fea9266924ad18ac3c39abc81cbf より
汚染土を表面2センチの土と仮定すると
1平方メートル当たり326万ベクレルで、
1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故で強制移住対象とした
148万ベクレルの2倍超、
90年にベラルーシが決めた移住対象レベルの
55万5千ベクレルの約6倍だった。
【福島原発事故、飯館村の真実】
役人「誰にも言わないでくれ。村長に口止めされてる」
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/7d5bdbcffa0c9e1a8b0e98ba6149ecba より
*公式に発表された村の放射線量:44.7μSv/h ⇒嘘の報道
*ジャーナリストから知らせてもらった数字:100μSv/h以上
・・・・
先生は「おそろしい。こんなところに住んでいてはいけない。私達が集めたこのデータを村長のところへ持って行ってください。避難しなければなりません」と言いました。しかし、村長は「このデータは公表しないでくれ!」と叫んだのです。村長は村を守ろうとしました。村をゴーストタウンにしたくなかったのです。
チェルノブイリを超えた。チェル最高148〜370万、
福島300〜3,000万ベクレル。8日の共同会見で認める。
(会見テキスト起こし付き)
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/de3ee25da17daafa5ead4220cdbf32d9
福島の除染費用は400兆円。
1家族に4000万払って移住させた場合、23兆円。
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/a9a6b4d441d2cec16bf74eb07d521fe4
アメリカの除染の専門家が明らかにする、本当の汚染状況!
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/b303336f0039ab87dd09739feb58a9ea より
真実が隠され、事故収束・除染・廃炉作業は順調に進んでいると、多くの日本人が誤解している。福島の除染作業、専門的知識・技術を持つ企業に限って締め出されてしまった。 日本政府は自らのプライドを守るかわりに、国民の命を危険にさらす途を選んだ。
★南西にある福島県白河市、通常の1,000倍の放射線濃度。
ここがもしアメリカなら、あわてて防護服着用し完全防備するが、
何も知らない日本人はいつもと変わらない様子で歩き回っていた。
★なぜかアメリカの測定結果より、
常に低い数値しか表示しなかった日本の線量計
★驚きあきれた・・
日本の「専門家」は、線量計の正しい操作方法すら理解していない
★福島市内で測定され公表されている放射線量より、
実際には、50パーセントも高い。
福島市内で測定されている数値は、間違っている。
★彼は福島県庁からやって来た当局者に、
「馬鹿言っちゃいけない。公表するのは平均値などではなく、
測定した中で、最も低い数値だけだ!」
不正確・不誠実なやり方に従うよう求められた。
★海外の除染専門家を日本で活用しない理由
「福島の高齢のおじいちゃん、おばあちゃんが皆怯えてしまう」
(環境省福島除染推進チーム次長)
★除染の専門知識ない、政治的力のある大手建設会社が
ずさんな除染作業をしている。
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