今、なんで日本は借金を抱えているの?
たかだか100年ちょっとだから、ちゃんと因果関係おさえておかないと、また「アベノミクス」だの「オリンピック」に目くらましされ、「中国船が領域を侵した」とNHKがプロパカンダのお先棒担ぐたびに、サルみたいに興奮して騙されることになる。 matome.naver.jp/odai/213621457…
日露戦争の莫大な負債
日露戦争で日本は、米国系ユダヤ人から借金をして戦争を行い、「ロシアに勝利」した戦争でした。
しかし、実際には同じユダヤ人銀行家がソビエトに金を回し、ロシアの崩壊を誘導していたとも言われます。やがて太平洋戦争で米国に敗戦した日本ですが、太平洋戦争開戦時も日本は米国のユダヤ系資本に借金を負っていました。終戦後、米国は同盟国に戦争賠償金を課さないことを呼びかける一方で、結局、しっかり昭和の終わりまでかけて金利を加えて日本から借金を回収したのです。
日本人は、借金の奴隷だった。
親世代の借金で、突入し、負けた、かっこ悪い太平洋戦争
結局、親の世代が莫大な借金をしたことが太平洋戦争の原因でした。負債さえなければ、戦争をする必要さえありませんでした。その借金の貸主は米国でした。負債を踏み倒せば、国家転覆する、それが日本が第二次世界大戦に参戦した理由だったのです。
日本がなぜナチスに与し同盟国側で第二次世界大戦を戦ったのか、日本がなぜ軍国主義に向かっていったのか考えてみましょう。
すると、前の世代の負債をごまかすために対外的関心に向けさせられていたことに気が付きます。そして、その借金は戦後もさらに孫の世代までかけて回収されたのでした。
日露戦争の負債を完済したのはいつなのか?
日露戦争遂行のためのポンド建て日本国債は、借換債を発行しながら1986年(昭和61年)にようやく完済した
最終的に返済を完了したのは82年経ってからでした。82年前の人の借金をせっせと返済していたと、団塊世代の何割が意識していたでしょう。そして、彼らは戦後賠償よりも負債返済を優先「させてもらった」のです。戦前の借金を取り立てられた一方で、他の国に戦後賠償はあまりしなくていいよ、とごまかされていたのです。
結果的に現在の日本人は、隣国から領土問題をもちかけられ、さらなる戦後賠償を要求され、実際に政府開発援助や円借款という名の事実上の賠償金支払いを継続しています。そして、自分たちは、さらに大きな負債を抱えることが正義だと錯覚しているのです。
日本が日露戦争の負債を返しきった昭和61年には、こんなできごとがありました。
・東京サミット
・三原山が209年ぶりに噴火
これを最近のことだと感じる方も多いはず。
実に82年間、戦前から戦後まで日本は米国人に負債を返しつづけたのでした。日本が戦後復興したのは米国のおかげだと一部の日本人は言います。また、親米の日本人は少なくありません。
国債の返済は、国民の税金から行われる
自動車王ヘンリー・フォードは以下のように述べています。ヘンリー・フォードは、反ユダヤ主義でも知られていますが、ここで述べられていることは、国債についての一般論にすぎません。
国債とは元金に応じた利息支払いの義務を含む政府の約束手形の発行である。もし5分利付とすれば、国家は20年後に利子の形で借りた金額と同額の金利を支弁しなければならないし、40年後には利子だけで元金の2倍、60年後にはその3倍を支払い、しかも元金は依然として元のままと言う事になる。この支払は納税者の最後の一文まで巻き上げるが、それは債権者である外国の金持ちに支払う為で、自国の用に供するために無利子の金を集めているのではない。
国債も国内債に限られている場合は国の貧者の金が国内の富豪に流れているだけだが、外国債の場合は自国の金が外国に流れているのである。そして国家はその利子を払う為に又外国債を発行する羽目に落ち入るのである。
『国際ユダヤ人』 ヘンリー・フォード著
日本の戦後復興は誰のもの?
日本に借金を完済させるために米国が強く政策誘導したのは当然のことでした。他国が日本にカネを落とすことは、米国の資金回収のために必要だったことなのです。
米国は1986年まで日本の経済成長を誘導し、またその後も有効利用できるよう計画したのです。
日本國ハ其ノ經濟ヲ支持シ且公正ナル實物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ
「日本国はその経済を維持し、かつ公正な損害賠償の取り立てを可能にするように産業を維持することを許される。」ポツダム宣言は、このように明言しています。戦後日本は、損害賠償の取り立てを可能にするために「経済を維持する」ことを許された存在でした。
1945年7月26日 ポツダム(potsdam,germany)で署名されたポツダム宣言は、日本の歴史の教科書ではなぜか原文が記載されず、単に「無条件降伏」とだ...
残念すぎる日露戦争の戦費調達
この戦争は自衛の為やむを得ず始めたものであり日本は万世一系の皇室の下で一致団結し、最後の一人まで闘い抜く所存である。
出典高橋是清
自衛のためやむを得ずという言い回しは、明治時代には既に使われています。日本は明治時代から基本的に「自衛」であることを主張しながら対外紛争を行っており、これは日清、日露戦争はもとより太平洋戦争でも同じなのです。そして、現代において自衛隊が残されています。では本当に、日露戦争はやむを得ず、80年後の子孫まで借金を負わせなければならないような戦争だったのでしょうか?
時の日銀副総裁であった高橋是清は、日露戦争 (1904 - 1905) が発生した際、戦費調達の為に戦時外債の公募で同盟国の英国に向かいました。
投資家は兵力差による日本敗北を予想しており、日本政府の支払い能力は信用されていなかったため、国債金利は高く設定せざるを得ない状況でした。
支払い能力は関税収入である。
出典高橋是清
関税収入を担保として借り入れを行いました。すなわち、支払いが滞れば関税を差し押さえられる可能性が生じていたのです。しかし、当時の楽観的な「見積もり」でさえ、返済には60年の歳月を必要としていました。そして、太平洋戦争という膨大な犠牲を生み出し、実に返済には82年の歳月を必要としたのです。
ロシアへの戦争を日本にけしかける英国とアメリカの様子を描いた当時の諷刺画。世界は既に構図をこう見ていました。国民は、その状況を認識していたでしょうか?
日露戦争を美談に仕立てたい日本人が多いのは分かりますが、それが後の世代に膨大な負債と太平洋戦争という膨大な損失を残したことも、紛れもない事実です。
日露戦争当時の日本経済は、名目GNP約30億円、国の一般会計予算約3億円、日銀券発行残高約3億円、全国預金残高7億6千万円というサイズでしかなかった。日本は当時のGNPの2.5倍、国家予算の60年分の負債を積み上げて日露戦争に挑んだ。
出典日露戦争、資金調達の戦い: 高橋是清と欧米バンカーたち 板谷 敏彦
当時の日本は、国民総生産の規模を見ても、貿易規模を見ても大国とは言えない状況でした。戦時国債の規模は国内総生産の2.5倍もの金額を想定していたのです。ここで注意して頂きたいのは、税収の2.5倍ではないということです。国民総生産の2.5倍。戦後の政府予算は長く3割以上が国債利払費に当てられ、増税により国民の租税負担は倍増したのです。
そもそも日露戦争の開戦経緯をたどれば、アヘン・アロー戦争、義和団事件、日英同盟という流れになっている。日本は列強による中国の植民地侵略に加担する形で日露戦争に流れて行った。
日露戦争は、単純に「日本のための戦争」ではありませんでした。当時、南下政策を進めたロシアと、極東への植民支配拡大を目論んだ英国の利害は衝突していました。世界中で紛争を抱えることができない英国は、日本に軍事的な同盟をもちかけたのです。この構図は、ここ数年日本が体験している構図ともよく似ています。
日露戦争は、そもそもイギリスによる清の植民地政策の失敗によって許してしまったロシアの南下に対して日英同盟を名目に日本が動いた戦争でした。
日本は膨大な借金を負わされ、戦争にけしかけられ、最終的に賠償金さえ得ませんでした。その原因は日本政府の無策にもあるかもしれません。しかし、世界経済はもっとずっと大きく動いていたのです。
日本人の戦費調達先はユダヤ人の金融家だった
シフは2億ドルの融資を通じて日本を強力に資金援助したことで、日本勝利と帝政ロシア崩壊のきっかけを作った。
ジェイコブ・シフ(Jacob Henry Schiff、1847年1月10日 - 1920年9月25日)は、ドイツ生まれのアメリカの銀行家です。
高橋是清の求めに応じて日露戦争の際には日本の戦時国債を購入しました。後に、勲一等旭日大綬章を明治天皇より贈られています。
日露戦争の第1回の戦時国債は1,000万ポンドが必要でした。これを日本は獲得できずにいました。ある銀行家の晩餐会で高橋は、隣席したシフから「日本兵の士気はどのくらい高いか」などとの質問をうけ、高橋が応答すると、翌朝500万ポンド公債をシフが引き受けることが伝えられました。
1904年5月、日本は戦時国債を発行することに「成功」した
以後日本は3回にわたって7,200万ポンドの公債を募集、シフはドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザーズなどに呼びかけ、これも実現しました。日本にとっては単純な戦時国債調達は、相手にとってはもっと大きな意味を持っていたのです。
日本がロシアと戦争をしようとしていたとき、シフらは、ソビエトの成立を経済支援していました。ユダヤ人を迫害した帝政ロシアに対する敵意があったとも言われています。
実は30年戦争以降の全ての国際戦争でユダヤ系資本が戦費調達に使われていました。彼は、見込みのない戦争を見込みのある戦争にすることで『相場操縦』を行うことに成功したのです。
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