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宮原 豊 この辺が歴史に出てくるのは三回、この辺で白い雉が発見され朝廷に献上され、吉兆だというので年号、「白雉」が作られた。これは通称としては「白鳳」が使われる。それから長登(奈良登)で作られた銅で奈良の大仏が作られた。周防の国は東大寺領だった。この辺は銅の産地で銭屋、鍔市というような地名が残る。赤という地名も(あかがね』から来たのだろう。それと維新史、奇兵隊と萩の政府軍との激戦地がここだった。
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