まるで、あの15年戦争へ突き進んで行った大きな一因の〖軍部大臣現役武官制(ぐんぶだいじんげんえきぶかんせい)とは、大日本帝国憲法において軍部大臣(陸軍大臣、海軍大臣)の補任資格を現役の武官(軍人)に限る制度。現役武官に限るため、文官はもちろん予備役・後備役・退役の武官には、補任資格がない。文民統制の対義語として用いられることもある。1900年(明治33年)に、山縣有朋首相の主導で、軍部大臣現役武官制を明確に規定した。これは、当時勢力を伸張していた政党に対して、軍部を権力の淵源としていた藩閥が、影響力を維持するために執った措置とされる。
しかし、日露戦争後の国際状況の安定と政党政治の成熟により藩閥と軍部の影響力は衰え、1913年(大正2年)には軍部大臣の補任資格を「現役」に限る制度が改められた(第1次山本内閣において、陸軍省官制および海軍省官制を改正して、軍部大臣の補任資格を現役将官に限るとの規定を削除した)。再び軍部の影響力が強まった1936年(昭和11年)に軍部大臣現役武官制は復活(広田内閣のとき、陸軍省官制及び海軍省官制に「大臣及次官ニ任セラルル者ハ現役将官トス」との規定を設けて(附表、別表)、軍部大臣現役武官制を復活)し、1945年(昭和20年)の終戦後、軍部大臣が消滅するまで続いた。
*第1次山本内閣の後を受けて大命降下した清浦奎吾は、海軍拡張(八八艦隊の建造費用)について海軍と合意できず、海軍大臣候補が得られなかったため、組閣を断念している。
一方、日本以外の国、特に西欧諸国においては、第二次世界大戦以前においても軍部大臣に文官を任用する例も多く、政治の軍事に対する優位を原則とする文民統制の理念が確立している。(Wikipedia)〗を想起する恐怖だ。もう『戦後責任』は、克服せずして❝戦後❞は終焉か。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015022290070926.html
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