筑波大学名誉教授、村上和雄氏の心に響く言葉より…
私は、『天に貯金をする」ということを祖母や親に教えられて育ちました。
貯金というのは普通、地上の銀行などの金融機関にするものですが、私の家では私たちがもらった小遣いやお年玉は、すべて天の銀行に貯金することになっていました。
それは具体的にいえば、自分たちよりももっと困っている人たちのための寄付をすることです。
幼かった私は、天の貯金もいいが、たまにはこちらの貯金箱にも回してほしいとうらめしく思ったものです。
そんなときに祖母は、「天の銀行に預けておけば、あとで1万倍になって返ってくる。もし自分の代で返ってこなくても、子どもや孫の代になって返ってくる」というのです。
旅費が工面できずに高校の修学旅行への参加をあきらめたときには、母もまた、「将来、天の貯金に利息がついて、お前は外国を飛び回ることができるようになる」といいました。
たしかに、その後、私は二度もアメリカに留学することができましたし、研究やシンポジウムへの参加などで何十回も外国に出かけることになりました。
こうした考えかたには、当然、サムシング・グレートに対する感謝の念が入っています。
地上の貯金は必要なときに自分で引き出しに行かなくてはなりませんが、天の貯金は、その人間にとって本当に必要なときに自動的に降りてきます。
私には、それを実感として感じた経験がいくつもあります。
また、運がいいというのも、天の貯金に関係しているのかもしれません。
運がいい人は、それだけ天にたくさん貯金を積んでいる人です。
しかも、それは、自分だけの貯金ではなく、両親や祖父母をはじめとするご先祖の貯金も含まれているかもしれません。
これは理屈ではなかなか理解できないことかもしれませんが、そういう教えを聴いて育ち、しかも天からの貯金が降りてきたとしか思えないような体験をしてきた私には、よく理解できることです。
こうした教えは、ほかの宗教にも見られます。
新約聖書のマタイ伝にも、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ちものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に宝をもつようになろう」という表現が見られます。
また、仏教にも「陰徳(いんとく)を積む」という言葉があります。
陰徳とは、人知れず、天に貯金をすることだといえます。
このように、どんな宗教であれ、宗教的な真理には共通のものがみられます。
天の銀行と地上の銀行の違いは、天の銀行は倒産しませんが、地上の銀行は倒産する可能性があることです。
また、地上の貯金は持ち越せませんが、天の貯金は持ち越すことができます。
持ち越された分は、子や孫、さらにその下の世代にまで恩恵をもたらすことができます。
どこかのクレジットカードの宣伝ではありませんが、天のポイントは永久不滅ポイントなのです。
私も、ご先祖や親が積んでくれた天の貯金の恩恵にあずかるだけでなく、少しでも増やしてあの世にいかないといけないでしょう。
私の代でだいぶ使ってしまったような気がするので、このままだと後の世代が困ってしまいます。
『望みはかなうきっとよくなる』海竜社
「天に貯金をする」とは、「運をためる」ということでもある。
何か嫌なことがあったとき、今あることに感謝し一所懸命に努力してそれを乗り越える。
それが、運をためること。
そのときに大事なことは、不平不満やグチ、泣き言や文句を一切言わないこと。
それを言った途端に、運はどこかへ行ってしまう。
困難や、嫌なこと、辛いことは、運をため、天に貯金をするチャンス。
天の貯金を増やす人でありたい。
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