5年目の3.11の想い
3.11の今日は、どこで、何をされますか?
私は、郡山開成山講演で開催される、
反原発福島行動16’に参加します。
3.11から5年が過ぎて、福島でさえも、
放射能被害を日常の中から忘れ去ろうとしている人々にとっても、
今日は、現実と向き合わなければならない日です。
この5年間で、小児甲状腺がんが166名となったにもかかわらず、
「放射線の影響とは考えにくい」と言い続ける福島県民健康調査検討委員会。
このままでは、放射能被害はなかったことにされてしまいます。
最初に甲状腺がんのお子さんが1人と発表になった時に
「患者会」がどうしても必要だと思っていました。
県外の方々に、「甲状腺がんのご家族の方々は、つながり合っているのですか?」
と聞かれることが多かったですが、
「患者さんたち同士をつながらないようにしているのが、福島医大です。
がんになったと他の人には話さない方がいいですよ、
進学、就職に不利になりますから」
と話していたことを、2013年3月11日放送の、報道ステーションのインタビューに答えたお母さんがおりました。
この放送を見て、初めて知ったのです。
患者同士をつなげないようにしているのだということを。
5年経ってようやく「家族会」が発足すると聞いて、不安を抱えながら、
手術を受けた子どもたちやそのご家族の方々の、
拠り所ができたことは、一歩前進だと思いました。
今日も、報道ステーションでは甲状腺がんについての特集を放送すると聞いています。
2013年3月11日のあの衝撃的な番組を作ったディレクターは、
2014年9月3日突然自殺で亡くなりました。
その知らせは、当時取材を受けた私たちの中では、
信じられないほどの衝撃を受けました。
真実を報道してくれる唯一のディレクターだと思っていたからです。
ディレクターは、次の甲状腺がんの特集番組を制作するために、
2014年8月25日の県民健康調査検討委員会の会場で取材をしていました。
それが、9日後に自殺するとは考えられませんでした。
kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3879.html
3.11特集番組は各局で放送してくれることでしょう。
その中で、どれだけのジャーナリストが真実を報道してくれるのか・・・・
今年3月8日放送のテレメンタリー「その時、『テレビ』は逃げた~黙殺されたSOS~」 の中で、
テレビ朝日では、1999年9月30日に起きた東海村JCO臨界事故の取材の教訓から、
10マイクロシーベルト/hのところには取材に行かない。
との社内規程があったことを初めて報道してくれました。
だから、南相馬市にはあの当時取材には行かなかったのだと。
社員の命を守るためには正しい判断だったと今になっては思います。
しかし、その当時15,000通ものSOSのメールが届いていたのに、
それを黙殺し続けたジャーナリストとしての使命はどうだったのか?
と問いたいところはあります。
自分の命をさえかけなければならない程の危険が伴うのが、
取材時における被曝問題であることを考えさせられる番組でしたが、
被曝問題以外にも「命の危険」にさらされることがあるということが、
2014年のディレクターの自殺の報道でした。
昨日の「甲状腺がんの家族会が発足」の報道は、
朝日新聞デジタル報道です。
この朗報が、すべての甲状腺がん患者さんに届くことを切に願います。
ご家族の方々の連帯を期待します。
記事を書いてくださった、本田雅和記者にも感謝します。
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