名だたる戦国武将はみんな病気?織田信長の人格障害を医師が診断!
http://diamond.jp/articles/-/92483
織田信長(1534~1582 年)
【診断・考察】情性欠如型人格障害・タイプA行動パターン
信長もチェーザレも理想のためには手段を選ばず、政敵や敵対者を躊躇なく抹殺した。信長は謀反を繰り返す弟・勘十郎信行を清洲城で自らの手で謀殺、有名な比叡山延暦寺の焼き討ちや、伊勢長島の一向宗門徒の虐殺、長年家老をつとめた佐久間信盛や林道勝ら無能な家臣の追放など、いかに戦国時代とはいえ、無情な振る舞いが多い。徳富蘇峰は「信長の性格は心理学上の謎と云わねばならぬ。(中略)不正を憎み之を懲罰するを以って、宛も一種の愉快としたらしく思われた」としており、サディズムがあったのではないかと王丸勇教授は指摘している。
信長は天下統一を目前としながら、明智光秀の反逆により本能寺で49年の生涯を閉じる。一方、チェーザレと父アレッサンドロ6世は1503年夏、8月12日の離宮の夕食会の後に高熱と全身衰弱に襲われ、教皇は6日後に死亡、チェーザレは回復するが教会軍総司令官の職を追われ、追放先のナヴァールのつまらない局地戦で戦死する。チェーザレの旗印は“Cesare o Nihil”「帝冠か無か」だったが、「天下布武」を旗印としながら「人間五十年下天のうちを較ぶれば夢幻のごとくなり」と敦盛の一節を好んだ信長の趣味に一致する。
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