真摯に生きている人をからかったり、足を引っ張ってみたりする人間はどんな場所にもいると思うけれども、そして、そんな「悪意」の裏には嫉妬や苦しさや様々な葛藤、事情もあるのだろうとは思うけれども、どんな理由があっても、誰かを意図的に傷付けた上に成り立つ正義などない、と考える。
誰かに対して嫉妬心や悪意を抱くことは何もおかしなことではないし、そうした感情は必要なものだと思う。私自身、我が強くて性格も決して良いほうだとは言えないので、ネガティブな感情を持て余すことはある。けれども、それを相手に向けたり、誰かを苦しめてまで自分が楽になろうとするのはいけない。
嫉妬や猜疑心や悪意が自分のこころのなかに芽生えている、渦巻いている、と感じた時には、それらのネガティブな感情をどうやって昇華させるか、何に転化していけるかを考える思考回路が必要だと思う。特に、攻撃的な気持ちをどうコントロールしてやり過ごして行くかによって、行動の結果は変わる。
仕事においても私生活においても、私たちは多かれ少なかれ、感情を犠牲にすることを強いられることが増えてきているように思う。そんな毎日のなかで、ネガティブな感情を殺してしまわずに「受け止める」「引き受ける」、そして少しずつ良いものへと転化させる努力が必要だと思う。
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