2016年9月12日 (月)
「メルトダウンが始まった」「撤退の準備で忙しい」米駐日大使の電話を一方的に切った経産官僚・根井寿規 2011年3月12日 逃げた根井はマスコミへの情報を遮断した
日本には10万人以上の米国人が暮らしている。
「米軍の方々も、健康影響という面ではまったく問題ない」(斗ヶ沢秀俊)
この毎日新聞編集委員の言葉を聞いて「安心しました」と言う米国人がひとりでもいたか!?
このとき、米オバマ政権は苛立ちの極致にあった。
<12日早朝。原子力安全基盤機構(JNES)の曾我部捷洋理事長は、グレゴリー・ヤツコNRC委員長宛に電子メールを送り、NRCからの支援の申し出に対して丁重に謝意を表すとともに、その時点ではその申し出を断った。
「日本側は米国政府の対日支援を敬遠しているのか?」
米側に戸惑いが生まれた。>(船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』文藝春秋)
日本の「原子力ムラ」は同盟国の支援を拒絶した。これが「民主国家崩壊→独裁」の萌芽だった。
<この間、ルース(引用者註・米国駐日大使)がもっとも衝撃を受けたのは12日の根井寿規原子力安全・保安院審議官との電話だった。
根井は「1号機がメルトダウンを始めている」と気忙しげに言った。
「メルトダウン? メルトダウンと言ったのか?」
しかし、ルースが心底打ちのめされたのは、根井の次の言葉だった。
「すみません、いまメチャクチャ忙しいので。撤退の準備を始めている」
「撤退? 誰が? どこへ? その根拠は?」
ルースはもっと詳しく根井に質したかったが、根井は「忙しいので申し訳ない」と言って、電話を切った。>
根井寿規
撤退の準備?
東電福島第一原発から真っ先に逃げ出したのは経産省の官僚だった。
2011年3月12日朝。原発免震重要棟にいた原子力安全・保安院の職員は、5キロ離れたオフサイトセンターへ退避した。
米駐日大使がじきじきに電話をかけてきたのに、審議官ごときが、
「逃げなきゃいけないので話せない」
なぜなのか?
米政府だけでなく、「すべての市民」への原発情報を遮断するためだ。
「原発で起きていることは全人類に知らせていけない」
経産省の態度は一貫している。今も。
「ちょっとね、今の原稿使っちゃいけないんだって」
NHKテレビが「拾っちゃいけない音声」を全国に流したのは、12日の12時過ぎ。「1号機原子炉の燃料棒が90センチ露出している」という原稿をくり返し伝えようとしていたときだった。
「使っちゃいけない」という指示は経産省から出ていた。これまで、経産省は原発事故の報道原稿をすべて検閲してきた。
3月14日07時49分。
「今、NISA、保安院からも官邸に向かって共同で処理していますが、プレス(報道発表)を止めているそうです」(東電テレビ会議)
情報遮断。このとき「市民のために権力を監視する」はずの日本のマスコミは死んだ。記者は現場に向かうのではなく、現場から逃げた。
70年前の「大本営発表」が幽霊のようにこの国を覆った。
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