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不仁の人物が不仁のことを行う時、その人自身はそれが不仁だと自覚していない。もし自身で不仁だと自覚したら不仁を行うはずはない。その人は、ただ不仁の行為をして楽しみとしているのであって、不仁を行って少しも気にしないのである。淫声美色・酒池肉林・珍禽奇獣、これらを夏の桀王や殷の紂王は、この上ない楽しみとし、自己の行為がはなはだしい不仁であることを自覚していない。
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