「今日の(3月11日)の、古舘がやってる報道ステーションを見せてあげたかった。
短く言うと、国と福島県は、被爆はあったとしても、子供たちの甲状腺癌等々の病気とは、無関係である。
被爆者やその親に、容易に検査させないように、あれこれ手を回してる。
っな感じ。
録画もしてなかったので、何とかそっちで見る方法はないの?」
というコメントが、Facebookに入りました。
その番組のことは、ツィッターで、コマ切れに内容が流されていて、そのどれもが、これまでにずっと、こういうことを伝えてほしかったというものばかりで、
だからかえって、妙な圧力などがかかって変なことにならないよう、今こそ応援の気持ちを形に現さねば、と思っていました。
けれども、そういう内容だからこそ、即座に削除されているのだろうなあと、半ばあきらめていたら、
やはりこの方、きーこさんが、いつものごとく文字起こしをしてくださっていた!ので、ここに転載させていただきます。
きーこさん、本当にありがとう!
↓以下、引用・転載はじめ
子どもが甲状腺がんに・・・ 母が苦悩の告白3/11報道ステーション(内容書き出し)
「お母さん放射能は調べないでくれ」って泣いて訴えるんです。
だからうちではもう、放射能の話はタブーなんです。
子どもが甲状腺がんに……。
母が苦悩の告白
福島の、18歳までの若い方の甲状腺がんについて、今日はお伝えしたい事があります。
まず、現在の考え方からです。
福島原発の事故由来の放射能と、当時18歳よりも若かった、福島の方々の甲状腺がんが出た、と、
この因果関係は「考えにくい」というんですね。
「考えにくい」というより「分からない」ではないか、という疑念を、番組では持ちました。
これは「因果関係がある」とか「ない」とか、
「どちらも分からないのではないか」というところから、福島での取材を始めました。
そして今まではですね、若い方の甲状腺がん、子どもの甲状腺がんというのは、
「100万人にひとりかふたり」、と言われていました。
福島では、現段階で、27万人の方が検査を受けて、
うち33人が甲状腺がんと分かり、摘出手術を受けています。
33人。
これまで、およそ27万人の子どもが受けた、福島県での甲状腺検査で、癌と確定した人数だ。
すでに、摘出手術を終えている。
子どもの甲状腺癌は、年間100万人に1人から2人とされてきたが、今、その数字は大きく覆されている。
33人。
古舘:
お子さんの甲状腺がんが発見されて、摘出手術を受けたという親御さんに、この番組では接触を試みました。
7人の方に接触させていただいたんですが、
やはり、インタビューをお願いすると、ことごとく断られました。
いろんな事情があると思います。
そしてある方は、こういう事をおっしゃいました。
担当したお医者さんに、
「こういう事に関しては、周囲にしゃべらない方がいいだろう」と。
「お子さんの就職の際などは、マイナスになるから」という様なアドバイスを受けた、という方もいらっしゃいました。
そういう中で、番組では、お一人のあるお母さん、やはりお子さんが甲状腺がんだったんですが、
その方は迷いながらも、音声を変えて、そして顔を映さないなど、様々な条件がクリアされれば、
「この胸の内を語ってもいい」と言って下さいました。
その方にお話を伺います。
10代の子どもを持つ、田中佳子さん(仮名)
県の検査で、子どもの甲状腺に、5mmを超えるしこりが見つかった。
甲状腺がんだった。
周辺のリンパ節の一部を切除した。
田中:
小さい10代の子どもでも、「がん」と聞けば、「なぜだ」って。
「なぜだ、自分だけがなぜなんだ」
「どうせがんなんだから、死んでしまう」
そこまで言われました。
古舘:
はぁ……。
田中:
親として、励ます言葉をどうやってかけていいか、分かりませんでした。
だから一緒に、「死ぬときは一緒だからな」って、言いました。
古舘:
あぁ……、そこまでおっしゃいましたか。
田中:
夫と子どもは、私に、
「放射能の話はするな」
「お母さん、放射能は調べないでくれ」
泣いて訴えているんです。
だからうちではもう、放射能の話はタブーなんです。
毎日が喧嘩になります。
夫は、
「知らないのが一番幸せなんだ」って、
「知らないで生活するのが一番いいんだ」
古舘:
「つきつめていけばいくほど辛いじゃないか」っていう考えなんでしょうかね……。
田中:
そうです。
だって、なってしまったんです。
取ってしまったんです。
戻ってこないんです。
田中さんは、日々の様子を、詳細にノートに記している。
事故当時、家の近くは、年間の線量でおよそ40ミリシーベルト。
家の雨どい付近では、85ミリシーベルトという高い値だった。
子どもは部活に熱心で、原発事故で学校が休みになっている間も、ひとり雪の中練習していた。
古舘:
2011年3月15日。
大変な量の放射線が降り注いだという時も、全く普通と、今お話し下さったような日常だった。
田中:
そうです。
あの、その日は雪が降ったんです。
で、その日は、近所の奥さんが「うちの井戸水を使っていいよ」っていうことで、
みんなして(水を)汲みに行きましたから。
そして、「ああ、雪が降ってきたね」っていうかたちで、
とにかく、水はあらゆるところを探して歩きました。
古舘:
ああ、そうですか。
その震災から7カ月後、県の甲状腺検査が始まった。
1次検査で異常がないとされると、A1判定。
5mm以下のしこりや、甲状腺に水分が溜まってできるのう胞が、20mm以下の小さいものがあると、A2判定になる。
それを超える大きなしこりや、のう胞が見つかると、B判定、C判定とされ、二次検査が必要になる。
癌の疑いもあるため、さらに詳細な検査が行われる。
そもそも、なぜ甲状腺検査が必要なのかといえば、原発事故と深い関係があるからだ。
甲状腺は、成長や発達を促すと同時に、全身の新陳代謝を調整する、甲状腺ホルモンを作りだす。
問題なのは、この甲状腺が必要とする栄養素が、「ヨウ素」だということ。
原発事故で放出された「放射性ヨウ素」も、甲状腺は、区別なく取り込んでしまう。
甲状腺に集まった放射性ヨウ素は、放射線を出し続け、癌の要因の一つとなる。
新陳代謝が活発な子どもほど、放射線の影響を受けやすくなる。
田中さんの子どもは、1次検査でB判定。
つまり、5mmを超えるしこりが見つかった。
しかし、手元に届いた通知は、このわずか1枚。
何の説明もなかった。
2次検査まで半年以上待たされた。
田中さんは半年も待てず、他の病院を探したが、そこで思いもよらない事を言われたという。
田中:
いざ、そこに行きましたら、
「(病院の)事務所の手違いです、ここでは検査する事はできません」
「(県が)決めている事なので、個人の病院では検査することはできません」
と言われました。
(病院の)事務所では、「どうぞ検査に来られてください」と、予約までとりましたので、
いざ先生とお会いしたら、先生は、
「うちは出来ません。ここでは出来ません。(県が)決めている事なので」
県内で、甲状腺の一時検査を行えるのは、県立医大のみ。
来年度から増やす予定があるが、それに選ばれるためには条件がある。
エコー検査をするだけで診断はせず、検査データはすべて医大に送らなければならない。
甲状腺に問題があるかどうかの診断は、医大が一括して判定する仕組みだ。
なぜ、県立医大だけに、診断の権限が集中しているのか?
甲状腺の第一人者で、検査の責任者でもある、県立医大の鈴木教授に話を聞いた。
福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
お母さん方が、心配でどこかで調べる。
するとそこの先生が、今度は、「のう胞じゃなくて結節だ、しこりだ」と言って、もう一回(県立医大に)まわる。
で、そうすると、それは全然違う、あの、おー、
小さいお子さんに特徴的な、甲状腺の中に認められる胸腺であったり、あの、血管であったり。
血管をのう胞と言っている。
「私どものところでやった検査と、同じレベルの事をやって下さいね」ということも、理解してもらわなければいけない。
つまり、県立医大と同じやり方で検査しなければ、異なる診断が出て混乱を招く、というのだ。
しかしそれは、県立医大以外での客観的な診断を、抑えつける結果になるのではないか?
県立医大の検査については、不信感を持っている住民もいる。
県の検査で、20mm以下ののう胞が見つかった中学生の女の子の母親が、取材に応じてくれた。
のう胞が見つかった中学生:
(県の検査は)人数も多かったので、しょうがないかなと思ったんですけど、
やっぱり3分や5分では、足りないのかなって思いました。
流れ作業のようだったです。
娘にのう胞が見つかった母親:
どこにどれくらいの大きさのものがあるとか、たとえばこれから、これ(のう胞)がこういうふうになる可能性がありますとか、
そういう説明は一切無く、あの、「説明してほしい」と言っても無く、
ただこの文章、2行の文章だけ。
「検査はしません」ということで、
20mm以下ののう胞は、県の基準ではA2判定で、二次検査の必要はない。
しかし、不安を抱いた母親は、県立医大とは距離を置き、県の検査には批判的な診療所を訪ねた。
のう胞が見つかった中学生:
検査の時間が倍以上かかったので、流れ作業っていう訳ではなくて、
時間をかけてじっくり診てくれるっていうのが安心しました。
親子が再検査を受けた診療所。
松江院長は、排他的な県立医大の診療方法を強く批判している。
松江寛人院長 ふくしま共同診療所:
検査を受けたけれども「不安だ」っていうのは、当然なんですよ。
(県立医大は)「患者に直接説明するな」って言っているんですよ。
それ(患者への説明)も我々がやりますと。
それもね、検査の結果を文章で、我々が渡しますと。
なので「(受診者に)直接説明をするな」っていうんですよ。
こんなことありえないですよ。
親子は、定期的に検査を続けている。
娘にのう胞が見つかった母親:
先月、3ヶ月ぶりに検査をしたんですけど、しこりが突然っていうか、出来てて、
「あ、そういうこともあるんだ」というのを知って、
この先、どういうふうに変わっていくのか、という不安な気持ちと、
なにも終わっていないっていうか、この先も続く、という思いで生活をしています。
原発事故後、体調を崩した娘は、学校の先生に、「放射能への不安」を相談したが、
「心配し過ぎだ」と、相手にされなかったという。
不信感が募り、今は学校に行けなくなっている。
この女の子が今、望んでいる事。
のう胞が見つかった中学生:
包み隠さず、その情報を公開してほしいです。
その情報を公開することで、救われる人たちもいると思うし、
やっぱり、これから生まれてくる人達の事も心配なので、
県の甲状腺検査では、この情報公開についても後ろ向きだ。
たとえ、検査を受けた本人であっても、自分のデータを受け取るためには、
県に対して、情報開示請求までしなければならなかった。
批判を受けて、手続きは簡素化されたが、
それでも申請書類が必要で、受け取るのに3週間ほどかかる。
県立医大に理由を聞いた。
鈴木眞一:
甲状腺のエコーの場合には、渡さないのが一般的です。
渡すとなると、渡し方に責任があるので、えーっとこれは、何度も検討しました。
決して我々は、渡したくない訳ではないので、渡すんなら渡そうと思ったんですけど、
そうすると、それによる不利益や齟齬(そご)もある場合が非常に多いので、現実的には、あの、実現しなかったという事です。
再び冒頭で紹介した母親の話を聞く。
田中さんの子どもは、甲状腺癌にかかり、すでに切除手術を受けた。
その手術の前に言われた事を、今もはっきりと覚えている。
医師が、「甲状腺がんの進行は遅く、危険な癌ではない」と説明したうえで、こう話したそうだ。
田中:
「今大きくなる様なことはまず心配はありませんから、焦らなくていいですよ」
「今ここで切らなければ、(症状が出る)30歳、40歳になってから、
『見つかった時に切ればよかったな』っていうふうに思わないですか」とまで尋ねられました。
だったら、そんなに急がなくてもいいんじゃないですか、と思いましたので、
「じゃあ、2〜3年待って下さい」
「子どもが、もう少し冷静に、判断能力が付くようになってから手術しても、かまわないんじゃないですか?」
ともお尋ねしました。
そしたら、
「前例がありませんから」
「発見されてから放置しておくという前例がないので、見つかったんだから、やはり直ちに切る、というのが本当でしょう」と
古舘:
うわぁ……、その両方を言われた訳ですか。
田中:
あんまり時間をおいて悩んでいるよりは、早く解決したかったので、半年以内に、手術に挑みました。
今見つかっている子どもの甲状腺がんについて、県の第三者委員会は、
「原発事故の影響は考えにくい」としている。
星北斗座長 県民健康管理調査検討委員会:
放射線の影響はどうかという事については、今後、きちんと検証する必要があると思いますが、
これまでの知見から言うと、「考えにくい」という表現を使っております。
「分からない」というのが正しい表現、というのもありますけど、
でも、今現時点で、我々が知っているこれまでの知見の積み重ねから言えば、想定内だろうというふうに言えます。
田中さんは、やり場のない思いを抱えている。
田中:
「まだ放射能の事をしゃべるの?心配しているの?」
「まだそんなことばっかり考えてるのかい?それじゃ前に進めないじゃない」
そういう方がいらっしゃいますね。
信頼や信用のおける親戚でも、頼りにしている方でも、
「大したことないんじゃない、そんな事」
「切れば治るんでしょ!死ぬわけじゃないんでしょ!」
「言っちゃ悪いけど、大したことないじゃない!」
3回言われました。
大したことあるんです。
それが悔しいです。
だから私は、自分で罪なのかと思っています。
「本当の事を知るのが罪なんだろうな」って。
古舘:
例えばですね、福島県以外で、別の県で、たとえばお子さんが甲状腺がんになった。
これが分かった時にはですね、病院は、福島県のケースよりも手厚く、と言いますか
丁寧に相談に乗ってくれる可能性、というものがみえてくるんです。
福島県で、こういう状況になった子どもが邪険にされている、その件。
もしそうだとしたら、こんな不条理はありません。
それに付随して言える事はですね、やはり、親御さんで、お子さんが甲状腺がんだった方で危惧するのは、
18歳を過ぎて大きくなった場合には、検査、あるいは治療、そういう事が有料になる可能性がある、という事。
これもおかしな話です。
引き続き、チェルノブイリの例を見ながら、こちらをご覧ください。
■「チェルノブイリは4〜5年後」甲状腺がんと事故の関係は?
福島県平田村。
そこに、福島県立医大と距離を置き、子どもたちの甲状腺検査などを無償で行っている病院がある。(ひらた中央病院)
エコー検査にかける時間は、県の検査よりもはるかに長い。
内部被ばくを測るホールボディカウンターも、子ども用の物を導入。
3歳と5歳の子どもを持つ母親:
チェルノブイリでも、後から甲状腺の癌が出たとかあったので、
小さいうちから検査を受けておいて、早めに分かれば、治療なりなんなり出来るのかなと思って……。
ひらた中央病院を運営する 佐川文彦理事長:
今、原発事故が起きて、あれからまだ3年しか経っていないんですよ。
まだ終結していないんですよ。
「放射能は心配ありません」「これは問題ありませんから」と言い切れる問題ではないと思う。
27万人を検査して33人。
子どもの甲状腺がんとは、年間100万人に一人か二人という、極めてまれな病気ではなかったのか。
被ばく医療の専門家として、福島県のアドバイザーを務めた山下氏は。
2014年2月23日
長崎大学 山下俊一副学長:
これはまさに、スクリーニング効果そのものであります。
スクリーニングした事がありませんでしたから、その頻度がまだ分からなかった。
一見増えたように見えますけれども、多分子どもたちが、ある頻度を持っていたんだろうと。
山下氏の説明はこうだ。
これまでも甲状腺癌は、自覚症状が現れることなどで、初めて見つかっていた。
それに比べて今回は、スクリーニングと言われる処方がとられた。
スクリーニングとは、ある集団の全員を調べて、病気を見つけ出すこと。
つまり、今回の場合は、福島県の子ども全員を調べる事で、甲状腺に異変のある子どもを見つけることです。
そのため、自覚症状がなかった甲状腺がんも見つかり、数が多く見えるという。
さらに、県立医大の鈴木教授が繰り返すのが、「チェルノブイリ」だ。
福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
チェルノブイリで、4〜5年目から、小児の甲状腺がんが多発したっていうこともありまして、
福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
最短で、チェルノブイリで、4年、5年で甲状腺がんが増加した。
1986年、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故。
大量の放射性物質がまき散らされた後、実は4〜5年後から、子どもの甲状腺がんが増えたとされている。
年齢層では、事故当時のゼロ歳から4歳が最も多かったが、福島では、この年齢層は発生していない。
こうしたことから鈴木教授は、現在福島で見つかっている甲状腺癌は、「事故の影響とは考えにくい」としている。
福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
もちろん、えーっと、放射線との関係影響があるかないかを見ていくために始めた検査ですから、ある程度の事は言及しなければいけない訳ですけど、
まだその時期ではないというのがひとつ。
まだ、チェルノブイリでの、先程話した事故のデータでも、4〜5年から急増したという事ですので、
今、出ているものに関しては、(放射能が影響した)可能性は、非常に低いんじゃないかと。
しかし、福島の子どもたちの健康調査を、独自に行っているある医師は、チェルノブイリのデータに疑問を抱いている。
北海道深川市立病院 松崎道幸医師:
チェルノブイリ事故が起きた時には、原発事故の後に、子どもに甲状腺がんが激増するという想定は、全くありませんでした。
最初の4,5年の甲状腺のデータには、非常に疑いがありますので、
それを根拠にして、ものを断定してはいけないと思います。
■チェルノブイリ・甲状腺がんの“真実”
原発事故からの4年間。
放射線の影響による甲状腺癌は、本当になかったのか?
真相を確かめるため、私たちは、事故から28年目を迎えるチェルノブイリへ向かった。
1986年4月26日
チェルノブイリ原発の4号機が、爆発炎上。
莫大な量の放射性物質が、放出された。
かろうじて、石棺と呼ばれる分厚いコンクリートで覆ったものの、中には今も溶け落ちた核燃料が、手つかずで残されたままだ。
緊急事態省の担当者:
翌日、住民は避難させられ、これからも絶対に、誰も住む事はない。
■「甲状腺がん増加は4〜5年後」
チェルノブイリの“知見”検証
チェルノブイリ原発の周辺にあった、いくつもの町や村。
あの日、放射性物質は、容赦なく人々の元に降り注いだ。
未曾有の原発事故を経験したこの地で、
“子どもの甲状腺がん”と“被爆”の関係は、どのような結論に至ったのか?
ウクライナの首都キエフにある、内分泌代謝研究センター。
ここには、国中から、甲状腺の病気を抱える患者が集まる。
甲状腺が専門のこの機関で、特に調べ続けているのが、チェルノブイリ原発事故の当時子どもだった世代。
この男性は、現在30歳。
事故で被ばくした時は2歳だ。
Q:チェルノブイリ事故への不安は?
事故当時2歳の男性:
もちろん気にしている。
故郷は立ち入り禁止で、検問所もある。
妻も、甲状腺の手術を受けているので、気をつけないと。
原発事故のあと、異変が見え始めたのは、4〜5年後の事だった。
甲状腺がんと診断される人々が、急激に増え始めたのだ。
特に顕著だったのが子どもたち。
極めて稀なはずの子どもの甲状腺がんが、なぜ増えたのか?
当時から、研究所の所長を務めるトロンコ医師は、いち早く放射線の影響を疑い、世界に訴えた。
しかし、なかなか認めてもらえなかったという。
ウクライナ内分泌代謝研究センター ミコラ・トロンコ所長:
事故で浴びた放射線の量で、ある学者は「甲状腺がんが発症する」と言い、ある学者は「発症しない」と言った。
大論争が巻き起こった。
原爆を投下された、広島や長崎の調査データをもとにしてだ。
この時、医学会の常識とされていたのは、原爆被害を受けた広島や長崎の“知見”。
「放射線による甲状腺がんの発症は、早くても8年後以降」というものだった。
そのため、「事故後4〜5年で見つかった癌は、放射線とは関係ない」とされた。
高性能な機器で大規模な検査、つまりスクリーニングを行ったため、「もともとあった癌が多く見つかっただけだ」と。
しかし、現実は違った。
トロンコ所長:
4年で発症するとは、思ってもいなかった。
しかし、その思い込みは間違いで、子どもたちの潜伏期間はもっと短かったのだ。
様々なデータを集め、事故後4年でも発症している事を実証した。
着目したのは、甲状腺がんの原因となる放射性ヨウ素だ。
その半減期は、非常に短い。
そこで、放射性ヨウ素が消えた後に生まれた子どもたちが、殆ど発病していないのに比べ、
放射性ヨウ素が消える前に生まれていた子どもたちは、発病率が高いことを突き止めた。
こうして、事故から10年経ってようやく、子どもの甲状腺がんと放射線の因果関係が、国際機関にも認められた。
(国際原子力機関の報告 1996年)
この、チェルノブイリの“知見”。
つまり、事故後4〜5年以上に甲状腺がんが増えた事等から、
いま福島で見つかっている甲状腺癌は「被ばくが原因とは考えにくい」とされている。
取材を続ける中、気になる情報が出てきた。
原発から西へ110kmにあるコロステン。
放射能で汚染されたが、居住は許されている地域だ。
最前線に当たる、検診センター(コロステン検診センター)。
事故以来、甲状腺がんの検査は、どのように行われてきたのか?
副所長が語ってくれた。
コロステン検診センター アレクサンドル・グテーヴィチ副所長:
当時は、何の機器もなかったので、“触診”で診察するしかなかった。
1990年位に初めて、エコー診断装置や線量測定器が入り、検査の態勢ができた。
この地域に、高性能の検査機器が納入されたのは、事故から4〜5年経ってから。
“触診”だけで、癌が見逃される事はなかったのか?
実は、早い時期から、子どもの甲状腺がんが増えていた可能性はないのだろうか?
グテーヴィチ副所長:
検査機器がいいと、患者は見つかりやすい。
Q:甲状腺がんを、もっと早く発見できた?
グテーヴィチ副所長:
当然、可能だったろう。
内分泌研究センターのトロンコ所長も、事故直後の検査体制は、十分でなかったことを認める。
トロンコ所長:
当時のソ連に、高性能のエコー診断装置はなかった。
1989年か90年になって、アメリカの大富豪などから、エコー診断装置の寄贈を受けた。
それでは、
福島で、4〜5年を待たずに、早い時期から見つかっている“子どもの甲状腺がん”は、本当に“放射線”と関係ないのか?
トロンコ所長:
可能性は低い。
私たちが知る福島の線量は、僅かだ。
ただ、調査はすべきだ。
科学は、予想外のデータを提示する事がある。
28年経つが、私たちは得た回答より、疑問点の方がはるかに多い。
チェルノブイリで調査した経験もある、京都大学の今中助教は
「当時起きた事が、今の福島に重なって見える」という。
京都大学原子炉実験所 今中哲二助教:
西側のオーソリティー(権威)、日本のオーソリティーも含めて、どういう反応をしたかというと、
「広島・長崎に比べたら早すぎる」と。
また、同時に、いわゆる今でも言われている、スクリーニング効果ですよね。
「熱心に検査検診をすれば、それだけがんも見つかる」という事も言われましたけれども、
(今回)福島関係の方々は、「それは福島の事故が原因ではない」
「なぜならば、チェルノブイリに比べたら早すぎる」とおっしゃったんですよね。
それを聞いて、皆さん、20年前におっしゃった事を忘れたのかなと。
福島で起きている事態は、事故の影響なのか、そうではないのか。
だが、それを検証するための重要なデータが、実は、決定的に不足しているのだ。
かつて、詳しい検査を目指した研究者がいた。
しかし、そこにストップがかけられたという。