しんどくて起き上がるのが苦痛…
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梅の花
古くから日本人に愛されてきたウメの花。江戸時代以降の花見といえばサクラですが、奈良時代以前に「花」といえばウメのことでした。平安時代、菅原道真が愛した花としても知られ、道真とその神格化である学問の神、天神のシンボルとしてもウメが使用されます。
ウメ全般の花言葉は、
「高潔」「忠実」「忍耐」
※西洋での花言葉・英語 Language of flowers
「Keep your promise(約束を守る)」「fidelity(忠実)」「beauty and longevity(美と長寿)」
(梅花言葉 http://rennai-meigen.com/umehanakotoba/より)
私は人文科学科だったので、この問題は大学在学中に考えた問題の一つでした。科学はすでに定まった方法の上でそれを用いて分析・研究する。その方法については前提にされていて、そこが問題になることはない。一方、人文科学は、科学も含めて、物事を理解するための方法を問題にし、研究対象にする。実益にはならないけれども、根源的、本質的に人間のあり方を考察するものなんだろうと考えていました。
当時心にとまった話に、空襲が町を襲い始めている1944年の日本において、ヘブライ語修得に邁進している学生のことがあります。死ぬかもしれないその時に、旧約聖書を読むために学んでいる。この話を聞いて、学者になる人っていうのはこういう人なんだろうと思いました。およそ自分にはない資質だなあとも…。一方その学生は社会から隔絶して、みんなが殺されていても、戦争反対もしないんだろうなとも思いました。でも、そういう存在が許されていいし、許されるべきだろうと考えていました。
この文章にある「真実という鏡の前で自らの精神のくもりに気づくという知的・心的経験」はどうだったか。真実は一つなのかっていうことが問題になっている時代だったから、自分が学生時代に経験したことがこれに当てはまるのかはわかりません。けれど、自分が見ていること、考えていることが、違う方向から光が当たって、ガラガラと崩れ、別のものに作り変えられていくことが起きることはありました。教えられてきたことは絶対ではないのだということを経験していました。
『Facebookにおけるブロック機能』
に関して。
あらためてブロックしている人の数を数えてみると、22名もいた。
その中には、なぜブロックしたかをハッキリと覚えている人もいれば、
全然なぜなのか、これは一体誰なのか、ということすら解らない人もいる。
基本、ブロック機能自体どうかと思ってはいるのだが、
(大衆分断統治の罠的な意味で)
これはあくまでもFacebookというSNSの中でのバーチャル・ブロックであり、
恐らく私がブロックしている22名の方々も、会って喋ったりすれば普通にええ人なんやと思います。
己れが直面したくない問題や、
己れが直視したくないような、
己れ自身のアカン部分に関する問題に対しての、
己れ自身が目を伏せておきたい箇所を指摘されたが故にブロックするという行為は、
己れ自身の為に善くないが、
結局ブロックに至る理由というのは、
全く面識もない、全く知らない人に、
いきなりネガティブ感丸出しなコメントを連発されまくる的なことが原因で、
それに至るというパターンが大半である。
簡単に言うたら、
酔っ払ってんのか、
はたまた、変な薬飲んで勢いづいてハイになりまくって調子のええコメントをカマしまくってんのか、
または、どう考えても完全に雇われてる工作員やないかこれは、
というような氣配を感じた時、
私はそれに至る、
つまりブロックに至る。
ほんで、そういうパターンに至る人達は、たいていプロフィール写真に顔がないとか名前が訳わからんとかの人が多い。
実存を晒していないぶん、ゲーム感覚の要素が強くなり、適当であり無責任なネガティブ感満載のコメントを酔っ払いながら、
はたまた変な薬でハイになりながら、
ついついカマしてしまっているのかもしれない。
かといって実存を晒していなくとも、
全然まともな、非常に心地の好いコミュニケーションを図ることの出来る人達も沢山いるのは事実だ。
そして勿論、ブロック機能というは、
"する"だけではなく、
"される"ものでもあるので、
私も当然の如く、散々ブロックされまくっているかもしれないということだ。
私の投稿は普通では受け入れ難い内容の投稿もむちゃくちゃ多いし、
大麻草関連の投稿も多いし(これは本来、日本國民が総出になって本氣で考えなければいけない問題である)、
政治関連批判なんかの投稿も多いし、
少々荒らめな関西弁を多用するということもあって、
『なんやこいつは!?鬱陶しっ!
わけわからん!死ねっ!』
という感じで、普通にブロックされまくっている可能性が大である。
どちらにせよ、ブロック機能というものは、FacebookというSNS媒体における中でのバーチャル・ブロックなので、
実存をブロックしているということではないんやけどね。
まぁ、結局なにが言いたかったのかというと、
出来る限りはみんなで仲良くして、
下手にしょ~もないことでイキりあったり、しょ~もない知識を比べあったり、
貶しあったりとか、
バカにしあったりとか、
勘繰りまくりあったりとか、
そういうのは避けたいよな。
だって確実にアホみたいやんか、
全然意味あらへんどころか、
まんまと支配層連中の思う壺やからね、
そういう状態は。
なので、いずれはブロックも全て解除しようとも思ってはいますが、
別にどっちでもええんちゃうか?
って思う時も確かにある。
どうせFacebookを活用するんならスムーズな方がええからね。
せやけれども、
範囲を狭めてこじんまりと限定公開ばかりで投稿しまくっていくというのもまた、支配層の思う壺のような氣がして
しゃ~ないけどな。
なんせ大衆側同士で変な不安とか不信とかを抱きまくって小さくまとまってまうんはアウトやとは思う。
ほんで、こういうSNSという媒体が原因となる"被害妄想"的なもんは、
一番しょ~もないとも思います。
長なってもうたわ。
ということで"和"であり"輪"である
世界平和の実現を<(_ _)>
①違憲状態政府が、、麻生違憲状態大臣発言どおり、「あの手口学 んだら」、現憲法の保障する「言論の自由」に対する破壊力は、甘利違憲状態 大臣の収賄(50万円の収賄)疑惑と比べて、一垓(がい。10の20乗。 1.0000.0000.0000.0000.0000)倍である。
しかし、この麻生発言(「あの手口学んだらどうかね」。2013/7/29)を知っている人は、1億2700万人のうち,僅か100万人であろう。
その理由は、新聞、テレビが、「また、麻生大臣が、失言した」と、小さくしか取り上げなかったからである。
②「あの手口学んだらどうかね」発言の麻生違憲状態大臣辞任要求のガンガン発信と新聞意見広告が成功すれば、
①麻生違憲状態大臣辞任、
②それと同時の、違憲状態内閣総辞職、
③そうなれば、改憲阻止・成功です。
③今からでも、間に合う!
④改憲阻止を目的とする市民は、腹の底から、「あの手口学んだらどうかね」・麻生発言の恐怖を共有し、【麻生退陣要求】の一兎を負うべきである。
二兎を追う者は、一兎をも得ず(2100年前の格言)。
市民・升永英俊
♯違憲状態首相(=国会活動の正統性の無い議員。憲法98条1項 より)
I am GOD'S CHILD(私は神の子供)
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?(こんな場所でどうやって生きろと言うの?)
こんなもののために生まれたんじゃない
突風に埋もれる足取り
倒れそうになるのを
この鎖が 許さない
心を開け渡したままで
貴方の感覚だけが散らばって
私はまだ上手に 片付けられずに
I am GOD'S CHILD
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない
「理由」をもっと喋り続けて
私が眠れるまで
効かない薬ばかり転がってるけど
ここに声も無いのに
一体何を信じれば?
I am GOD'S CHILD(私は神の子供)
哀しい音は背中に爪跡を付けて
I can't hang out this world(この世界を掲げる事など出来ない)
こんな思いじゃ
どこにも居場所なんて無い
不愉快に冷たい壁とか
次はどれに弱さを許す?
最後(おわり)になど手を伸ばさないで
貴方なら救い出して
私を 静寂から
時間は痛みを 加速させて行く
I am GOD'S CHILD
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない
I am GOD'S CHILD
哀しい音は背中に爪跡を付けて
I can't hang out this world
こんな思いじゃ
どこにも居場所なんて無い
How do I live on such a field?