命名から150年 なぜ「北海道」に
毎日新聞
なるほドリ 2018年で「北海道」と命名されて150年目になるんだってね。
記者 幕末にロシアの日本進出が進み、国境問題への危機感が高まりました。それまでは国境があいまいだったからです。江戸幕府や明治政府は当時、北海道を蝦夷(えぞ)地と呼んでいました。蝦夷とは中央政権から見て異民族という意味です。日本の領土として明確にするため、名前を改めることになり、1869(明治2)年8月15日の太政官布告で、蝦夷地を北海道とすることが周知されました。
Q どうして「北海道」になったの?
A 明治政府の官僚でもあった探検家の松浦武四郎が「北加伊道」という名前を提案しました。松浦は1863(文久3)年にまとめた「天塩日誌」で、「アイヌ民族の長老から『カイ』は『アイヌ』を指すと聞いた」などと記しており、「北加伊道」に「アイヌ民族が暮らす北の土地」という意味を込めたと言われています。ちなみに、「道」は律令国家で全国が東海道や南海道など七道に分けられていたことにならったものです。提案後すぐに、政府は「加伊」を「海」に改め、北海道としました。
Q へー、そんな意味があったんだね。ところで松浦武四郎ってどんな人なの?
A 1818(文化15)年に三重県で生まれ、10代のころから日本全国を旅していたそうです。ロシアの脅威を知り、26歳のときに当時はまだあまり知られていなかった蝦夷地を調べることを決意します。58(安政5)年までに計6回調査し、アイヌの人々とも親交を深めました。69(明治2)年に開拓使が設置され、開拓の現地責任者である開拓判官に任命されました。しかし、アイヌ民族への差別や暴力をなくしたいという松浦の訴えが聞き入れられず、翌年に辞職してしまいました。2018年には生誕200年を迎えます。
Q 北海道という名前が決まった時、アイヌ民族の反発はなかったの?
A 政府はアイヌ民族にも戸籍を作り、日本国民とした一方、旧土人として差別しました。開拓者に漁場や農地などを独占させたり、優先的に払い下げたりして、アイヌ民族を迫害しましたが、アイヌ側の当時の記録が見つかっておらず、詳しいことは分かっていません。
Q そうなんだ。150年前の北海道ってどんなところだったんだろうね。
A 明治以前の北海道の産業は漁業が中心だったため、内陸部は原始林に覆われていました。当初、裁判所などの行政機関は箱館(函館)に置かれていましたが、ロシアへの対応などのため、札幌を開拓の拠点とすることになりました。街の整備は1871(明治4)年に始まり、現在のような碁盤の目の道路や偕楽園、最初の官立学校である資生館などが作られました。
Q 一から街を作ったんだね。150年目を記念する事業もあるんだってね?
A 道が「150年道民検討会議」を設置して事業展開を考えており、18年夏ごろに記念セレモニーを行う予定です。今はPR用ロゴマークの選定を行っており、近く三つの最終候補からインターネット投票と審査委員の投票結果で決定します。また、道庁赤れんが庁舎も改修され、館内には松浦武四郎を紹介する展示も企画されています。<回答・今井美津子>
ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20161218/k00/00e/040/099000c#csidx62a69d90c9ddad986798b89d513c9d2
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