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サルが自分で撮った写真を巡ってカメラの所有者であるイギリスの写真家と写真をインターネット上に掲載しているアメリカの財団の間で、著作権の論争が起こっていて、各メディアも大きく取り上げ注目を集めています。
議論が起こっているのは、3年前にインドネシアの森林で撮られた野生のサルが歯をむき出しにして笑うような表情の写真で、イギリスの写真家の男性が持っていたカメラをサルが奪い、自分で撮ったいわゆる「自撮り」の写真です。
この写真がインターネット上に無断で掲載されたため、写真家側が「写真の著作権はカメラの所有者である自分にある」として写真を掲載しているアメリカの財団に対して掲載をやめるよう求め、写真によって見込まれた100万円以上の収入を失ったと訴えています。
これに対し写真を掲載している財団は、サルが撮影した写真である以上、男性に著作権はないと主張し対立しています。
これについてアメリカの雑誌「タイム」は「サルの自撮り写真が写真家を法律論争の泥沼に陥らせた」というタイトルで報じ、知的財産の専門家の話として、「著作権を持つには、個性を表現した何かを写真に込めなければならず、サルは人ではなく、写真に著作権は存在しない」という指摘を紹介するなど、サルの自撮り写真を巡る論争を海外メディアが大きく取り上げています。
【人が死ぬのは、自ら死を予期しているから】
私たちは細胞代謝により2年ごとに、細胞レベルにおいて、全く新しい存在に生まれ変わっているのです。
私たちには細胞構造を再生できる生来の能力があるのに、なぜ死に至るのでしょうか。
『それは私たちが作った信念体系によるものであり、細胞は単に物質を身にまとった記憶に過ぎない』
ディーパック・チョプラ医学博士 著「クオンタム・ヒーリング」
人は三つの点を常に留意することが大切
1.自分は死ぬのだという観念を捨てること
2.自分の肉体のエネルギーフィールドから、ネガティブな思考や感情を全て解放すること。
3.肉体(身)、感情体(心)、メンタル体(魂)をマスターすること。
七つのチャクラは、非常に速いスピードで回転しながら、プラーナを内分泌腺を通して上昇させます。
七つのチャクラの一つ以上が速度を緩め始めると、生命のエネルギーの流れが滞って、ブロックされ、それが老化や病気の原因になります。
七田 眞 著「魂の人生学」より
「漢方や鍼灸を利用するメリット」
1.たとえば精神薬に比べ副作用がかなり少ないということ。
2.東洋医学の得意分野と西洋医学の得意分野が異なること。
3.味覚、嗅覚にも訴えるということ。
4.鍼灸には即時的な効果もあり前身の調整に役立つ。
5.病名がつけづらい、区別しにくい状態の患者にも使いやすい。
「漢方や鍼灸を利用するうえでの注意点」
1.漢方の効果は基本は弱いので救急時に対応しきれるものではない。
2.内分泌ホルモン系は東洋医学の方が得意なのでうまく使い分ける。
3.漢方には証(薬が体にあっている状態)という概念があり、処方をいくつも使うことはない。せめて二種類までに留める。
4.通販の漢方薬には手を出さない。煎じ薬は人を見て値段を見て決めること。
5.漢方に副作用が「ない」と決して思わないこと。というより東洋医学には副作用という概念は存在しない。
6.漢方と鍼灸はひとつの対症療法である。食事や生活を改善するよりない。
7.漢方や鍼灸がスバらしいと言っている治療者はまずスバらしくない。
世界に誇れる素晴らしい日本人がかつて存在した……。あなたは、工藤俊作という日本人を知っていますか?
大東亜戦争開戦翌年の昭和17年3月2日午後2時頃、ジャワ海の制海権争奪に敗れた米英豪連合軍艦隊の2隻の英海軍艦艇がインド洋への脱出を試みて、ジャワ海北西海域において日本艦隊に相次いで撃沈された。両艦の乗員合計約450人は炎上沈没する艦から脱出し漂流、その後20時間近く経過した翌3日午前10時頃、日本海軍の駆逐艦『雷』が彼らを発見した。
■英駆逐艦「エンカウンター」
■英巡洋艦「エグゼター」
『雷』の乗組員は全部で220名、イギリス人漂流者はその倍以上450名もいた。さらにこの海域は敵の潜水艦の跳梁が激しく、艦を停止させること自体が自殺行為に等しかった。
イギリス海軍400名余を確認した『雷』の工藤少佐(当時)は敵潜水艦の有無を再三に渡って確認させ、その上で『敵兵を救助する』と号令。マストに『救難活動中』を示す国際信号旗を掲げた。工藤に対し、「艦長はいったい何を考えているのだ! 戦争中だぞ!」と批判の声も挙がった。英米による石油禁輸措置によって石油の乏しい日本にとって、発進・停止を繰り返す救助活動は、その後の戦闘を不可能にすることに繋がったのだ。
そうして救助が始まったが、イギリス海軍将兵の多くは艦から降ろした縄はしごを自力で昇れないほど消耗していた。工藤艦長は彼らの体力が限界に達していることに気づき、ほとんどすべての乗組員を救助活動に当たらせた。当初は軽機関銃を準備し警戒要員を艦内主要箇所に配置していたが、「一番砲だけ残し、総員敵溺者救助用意」という極めて異例の命令を発したのだ!
さらに周辺海域を探査、漂流者をすべて救出。救助した英兵を貴重な真水で洗い、衣服まで提供して工藤艦長はこうスピーチした。「貴官たちは勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである」……と。そもそも英国海軍の規定において、危険海域における溺者救助活動は『たとえ友軍であっても義務ではない』としている。 それが敵兵である自分たちを戦域での危険を顧みず救助し、衣・食を与え、敵国の病院船に引き渡しまでしたのだから、救助された英兵たちは大感激したのだという。
■終戦から長い年月が流れた平成8年、サムエル・フォール卿(元英海軍士官)が自伝『マイ・ラッキー・ライフ』を出版
序文には、「この本を私の人生に運を与えてくれた家族、そして私を救ってくれた大日本帝国海軍中佐・工藤俊作に捧げます」 と記されている。 「自分が死ぬ前にどうしても一言お礼を言いたかった。一日として彼の事を忘れた事はありません」と来日したフォールさんによって、このひとりの日本人・工藤俊作艦長の話は、日本人の知るところとなった。
工藤艦長は戦後になってからも海軍のクラス会には出席しようとしなかったという。あの救出劇ののち、工藤は別の艦の艦長となったが、『雷』は撃沈されて乗組員全員が死亡してしまっていたのだ。晩年の工藤の1日は、毎朝死んでいったクラスや部下の冥福を祈って仏前で合掌することから始まった。そうして、昭和54年1月12日、工藤艦長は77歳の生涯を静かに閉じた。
工藤艦長の甥・七郎兵衛さんはフォールさんがもたらしたこの話を聞き、「叔父はこんな立派なことをされたのか、生前一切軍務のことは口外しなかった」と落涙したのだそう。工藤艦長は家族にも、この事実を語ることはなかったのだという。日本海軍のサイレント・ネイビーの伝統を忠実に守って、工藤中佐は己を語らず、黙々と軍人としての職務を忠実に果たして、静かにこの世を去っていったのである……。
【これが日本人の武士道精神 日本軍人 工藤俊作艦長の話】はこちらの動画からご覧いただけます
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この記事を読んで、あなたはどんなふうに感じましたか? わたしは、工藤艦長の日本人としての誇りや矜持に胸が熱くなる思いがしました。同時に、現代では日本人的な「武士道」の魂が失われていることを、考えずにはいられません。あなたも大切な人とこの話をシェアして、今一度「日本人の誇り」について考える機会にしていただければと思います。
長崎原爆 多くの人を被爆から、救った医師がいた実話をご存じですか?
「塩をとれ、甘いものをさけ、水は、飲むな」
この実話は、チェリノブイリの原発事故で、再度、注目され、
被爆対策のために味噌が輸出された。
福島の放射性物質の危険性にあてはめてみたい。
果たして、安全なのだろうか?
事実としてあり、認める必要がある事は、
原発事故以前よりは、
あたい、数値が高くなっていることだ。
では、どのようにすれば、いいのか?
目に見えない放射性物質の危険性。
ここに、長崎の実話を紹介したい。
◎秋月医師は、爆心地近くで、必死であった。
http://50goen.com/bhousyaseibussituankpage.html#akiduki
秋月式栄養学=ミネラル栄養学である。
この時のミネラル栄養論を端的に表現するならば、
食塩、ナトリウムイオンは造血細胞に賦活力を与えるもの、
砂糖は造血細胞毒素ということになる。
この原爆症にも私のミネラル栄養論がそのまま役立つのではないか。
私の胸中に信念にも似たものが湧然とわいてきた。
「玄米飯に塩をつけて握るんだ。からい、濃い味噌汁を、毎日たべるんだ。
砂糖は絶対にいかんぞ。」私は、炊事方や職員に厳命した。
もしそれが履行されないと、私は、気の毒なくらい相手を怒鳴った。
「砂糖はいかん、甘いものはいかん!」
これは爆弾前から、入院患者や従業員に厳重に申し渡していた。
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さて、私は、今年の3月、
長崎、聖フランシスコ病院を訪ねた。
シスターがら、
生前の秋月先生のお話を伺った。
そして、「食物と体質」の本を、
いただいた。
◎福島の放射性物質の驚異
極陰性の放射性物質には、
極陽性の自然塩がいいのです。